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イギリスの貴族 (1765-1842) ウィキペディアから
第12代ノーフォーク公爵バーナード・エドワード・ハワード(英: Bernard Edward Howard, 12th Duke of Norfolk, KG, FRS, FSA、1765年11月21日 – 1842年3月16日)は、イギリスの貴族、政治家。
第12代ノーフォーク公 バーナード・ハワード Bernard Howard 12th Duke of Norfolk | |
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ノーフォーク公ハワード家 | |
ヘンリー・ウィリアム・ピッカースジル画の第12代ノーフォーク公の肖像画 | |
続柄 | 第11代ノーフォーク公チャールズの三従兄弟 |
敬称 | Your Grace |
出生 |
1765年11月21日 グレートブリテン王国・イングランド・ヨークシャー・シェフィールド |
死去 |
1842年3月16日(76歳没) イギリス・イングランド・ロンドン・セント・ジェイムズ・スクウェア・ノーフォーク・ハウス |
配偶者 | エリザベス(旧姓ベラシズ) |
子女 | 長男:第13代ノーフォーク公ヘンリー |
父親 | ヘンリー |
母親 | ジュリアナ(旧姓モリニュー) |
役職 |
軍務伯(1815-1842) 貴族院議員(1829-1842) |
1765年11月21日、ヘンリー・ハワードとその妻ジュリアナ(旧姓モリニュー)の長男としてシェフィールドに生まれる[1][2]。父ヘンリーは第22代アランデル伯爵ヘンリー・ハワードの八男バーナード・ハワード(第5代ノーフォーク公爵トマス・ハワードと第6代ノーフォーク公爵ヘンリー・ハワードの弟)の孫にあたるが、破産しかけたワイン商であり、しばしば本家の公爵家に資金援助を仰いでいる人物だった[3]。
1799年に王立協会フェロー(FRS)、1812年にロンドン考古協会フェロー(FSA)となる[1]。
1815年12月16日、三従兄弟 [注釈 1] にあたる第11代ノーフォーク公爵チャールズ・ハワード(曽祖父バーナードの兄チャールズの曽孫)が嫡出子の男子なく死去したため、彼が第12代ノーフォーク公爵位を継承することになった[1]。プロテスタントに改宗した11代公爵と異なり、彼はカトリックであったが、1824年制定の議会法によりカトリックのままでも軍務伯としての実務が取れるようになった。ついで1829年にはカトリック救済法により、カトリックに議員資格が認められ、彼も貴族院議員に列した[1][4]。
1830年には枢密顧問官(PC)に列した。1834年にはガーター勲章勲章士(KG)を受けた[1]。
1842年3月19日にロンドン・セント・ジェイムズ・スクウェア・ノーフォーク・ハウスで死去し、アランデルに葬られた[1]。爵位は長男ヘンリーが継承した。
1815年12月16日に死去した三従兄弟チャールズ・ハワードから以下の爵位を継承した[5][6]。
1789年にエリザベス・ベラシズ(第2代フォーコンバーグ伯爵ヘンリー・ベラシズの娘)と結婚し、彼女との間に一人息子のヘンリー(第13代ノーフォーク公爵)を儲けた[1][5]。エリザベスとは1794年に離婚しており、離婚後エリザベスはただちに結婚前からの愛人リチャード・ビンガムと再婚している[7]。
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