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ニューファンドランド (HMS Newfoundland, 59) は、イギリス海軍の軽巡洋艦。セイロン級。
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1939年11月9日 |
進水 | 1941年12月19日 |
就役 | 1943年1月21日 |
退役 | |
その後 | 1959年12月30日にペルーに売却 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 基準 8,712トン 満載 11,024トン |
全長 | 169.3 m (555.5 ft) |
全幅 | 18.9 m (62 ft) |
吃水 | 5.3 m (16.5 ft) |
機関 | アドミラリティ三胴式重油専焼水管缶4基 パーソンズ式オール・ギヤードタービン4基 蒸気タービン 4軸推進 72,500shp |
最大速 | 33ノット (61 km/h) |
乗員 | 平時650名、戦時730名 |
兵装 | Mark XXIII 15.2cm(50口径)三連装砲4基 Marks XVI 10.2cm(45口径)連装高角砲4基 4cm(39口径)ポンポン砲四連装2基 12.7mm(62口径)機銃四連装4基 53.3cm三連装魚雷発射管2基 |
スワン・ハンター社で建造。1939年11月9日起工。1941年12月19日進水。1943年1月21日竣工。
1943年6月、パンテッレリーア島攻撃(コークスクリュー作戦)に参加し、パンテッレリーア島を砲撃した。パンテッレリーア島の降伏後はランペドゥーザ島に対する攻撃にも参加した。
7月、シチリア島侵攻作戦(ハスキー作戦)に参加。7月23日にイタリアのアデュア級潜水艦「アシアンギ (Ascianghi)」もしくはドイツ潜水艦「U407」の雷撃を受け損傷した。マルタでの応急修理後アメリカ合衆国へ向かい、ボストン海軍工廠で修理を受けた。1944年4月の修理完了後は、イギリスで11月まで改装を受けた。
1945年5月、「ニューファンドランド」はニューギニアのウェワクに対する砲撃を行った。6月、トラック攻撃(インメイト作戦)に参加し、艦砲射撃を行った。続いて日本本土に対する攻撃に参加した。8月9日には釜石に対する砲撃に参加した。
1946年10月29日、「ニューファンドランド」はマラッカ海峡で日本の重巡洋艦「高雄」の海没処分を行なった[1]。「高雄」の機械室への注水および艦底に仕掛けられた爆雷の起爆後、「ニューファンドランド」は砲撃を行い9発中6発が命中した[2]という。
戦後は訓練艦として使用されたが、1952年に東インド、極東方面に配備された。第二次中東戦争で1956年11月1日、スエズ湾でエジプト艦「ディムヤート (Domiat)」(旧リバー級フリゲート「ニース (HMS Nith)」)をデアリング級駆逐艦「ダイアナ」(HMS Diana, D126)と共同で撃沈した。
1959年にペルーへ売却され、ペルー海軍にて「アルミランテ・グラウ (Almirante Grau)」と改名された。1973年に「カピタン・キニョネス」と再改名。1979年に退役後、日本で解体された。
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