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トロイ・コーサー
オーストラリアのオートバイレーサー (1971-) ウィキペディアから
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トロイ・ゴードン・コーサー(Troy Gordon Corser、1971年11月27日 - )は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州ウロンゴン出身のオートバイレーサー。1996年と2005年のスーパーバイク世界選手権チャンピオン。
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経歴
要約
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1993年にオーストラリア国内のスーパーバイク選手権、1994年にAMAスーパーバイク選手権のチャンピオンを獲得した。スーパーバイク世界選手権(SBK)にはワイルドカード枠からの出場で5度の表彰台を経験した後、1995年にドゥカティを駆ってフル参戦を開始した。フル参戦前の1994年にシリーズランキング11位を記録したことから、コーサーはゼッケン#11を現在に至るまでのほとんどのシーズンで使用している。
開幕戦ホッケンハイムではいきなりポールポジションを獲得しポテンシャルを見せつけた。第6戦ザルツブルクリンクで初優勝を果たし、その後も経験済みのサーキットを中心に勝利を重ねてカール・フォガティに次ぐシリーズランキング2位を獲得した。
翌1996年シーズンにはフォガティ、アーロン・スライト、ジョン・コシンスキーらとのタイトル争いを制し、フル参戦2年目にしてワールドチャンピオンに輝いた。1997年にはロードレース世界選手権500ccクラスに戦いの場を移しヤマハ・YZR500を駆ったが、目立った成績を上げられないままシーズン途中でチームを去ることになった。
1998年はSBKに復帰し、再びドゥカティを駆りチャンピオン争いを展開。最終戦菅生まではランキングのトップに立っていたが、ウォームアップランでクラッシュし肋骨を折り、フォガティにタイトルをさらわれてしまった。翌1999年シーズンはそのフォガティとチームメイトとなったが、前年と同じくフォガティがチャンプ、コーサーがシリーズ3位に終わった。
2000年にはアプリリアのワークスチームに移籍。同社にSBK初優勝をもたらし、三たびシリーズ3位となる。翌2001年もチームに残留し、開幕戦バレンシアではダブルウィンを達成する活躍を見せたが、チャンピオン争いには絡めずにシリーズ4位に終わった。
2002年にはカール・フォガティ率いるフォギー・ペトロナスチームに参加。マシン開発に1年を費やし、翌2003年シーズンに実戦デビューにこぎ着けた。2004年の第3戦ミザノではチーム初の表彰台に立ったが、シリーズランキング9位に終わったこのシーズンをもってコーサーはチームを去った。
2005年シーズンにはアルスター・スズキチームに移籍。戦闘力のあるGSX-R1000を得たコーサーはシーズン前半に連勝を重ねた。後半には若干調子を落としてクリス・バーミューレン(ホンダ)の猛追を受けたものの、逃げ切りに成功して自身2度目のワールドチャンピオンに輝いた。翌2006年は開幕戦・第2戦と2勝を記録したが、その後はリタイヤを7度も喫してしまいシリーズランキングは4位に終わった。
2007年にはヤマハのワークスチームに移籍し、芳賀紀行のチームメイトとなった。芳賀がホンダのジェームス・トスランドとタイトル争いを展開しシリーズ2位に入った一方、コーサーは未勝利で5位に終わった。翌2008年シーズンはコーサーが巻き返してトロイ・ベイリス(ドゥカティ)に次ぐシリーズ2位に入り、芳賀が3位となった。
2009年シーズン、コーサーはルーベン・チャウスと共に、SBK新規参戦となるBMWのマシンを駆ることになった[1]。初年度の最高位は第10戦ブルノのレース1での5位、年間ランキングでは13位を記録した。2010年もチームに残留、第5戦モンツァでBMWに初表彰台(3位)をもたらし、第8戦ミサノでポールポジションを獲得する等の活躍を見せ、ランキング11位に成績を伸ばした。
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記録
要約
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SBKにおいてコーサーは地元フィリップアイランドとバレンシアでそれぞれ4度のポールポジションを獲得している。これは1つのサーキットでの最多タイ記録である。
また1つのサーキットで10回以上表彰台に立った事例はSBK全体で8つあるが、そのうち4つはコーサーが達成したものである - ミサノで13回、ラグナ・セカとフィリップアイランドで11回、ドニントンで10回。
スーパーバイク世界選手権
(キー)
ロードレース世界選手権
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脚注
外部リンク
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