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ギリシア神話の巨人 ウィキペディアから
テューポーン(古代ギリシア語:Τυφών〈ラテン翻字:Tȳphōn, ラテン語:Typhon〉※以下同様)、テューポース(Τυφώς〈Tȳphōs, Typhos〉)、あるいはテュポーエウス(Τυφωεύς〈Typhōeus, Typhoeus〉)は、ギリシア神話に登場する、神とも怪物ともいわれる巨人。同神話体系における最大最強の怪物で、神々の王ゼウスに比肩するほどの実力をもち、そのゼウスを破った唯一の存在でもある。
日本語では、長母音を省略して「テュポン」「テュポーン」「テュポエウス」「テュフォン」「ティフォン(※現代ギリシャ語ではこの読み方が最も近い)」などとも表記される。
出自に関してはさまざまな異伝があるが、最も有名なのは大地母神ガイアとタルタロスとの間の子で、ゼウスに対するガイアの怒りから生まれたとするものである[1][2]。一説ではガイアにゼウスの暴虐を訴えられたヘーラーが、彼を懲らしめるためにクロノスからもらった卵から生まれたとする説や[3]、ヘーラーが1人で生んだという説もある[4][5]。後者の説ではピュートーンがヘーラーから受け取って養育したという話である[6][7]。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じであるが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという[2]。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない[8]。肩からは百の蛇の頭が生え[9][2]、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた[10][2]。またあらゆる種類の声を発することができ、声を発するたびに山々が鳴動したという[11]。古代の壷絵では鳥の翼を持った姿が描かれている。
テューポーンは不死の怪女エキドナを妻とし、数多くの怪物の父親になった。ヘーシオドスの『神統記』によればテューポーンの子供はオルトロス、ケルベロス、ヒュドラー、キマイラだが、のちに多くの怪物がテューポーンとエキドナの子供とされた。アポロドーロスではネメアーの獅子[12]、不死の百頭竜(ラードーン)[13]、プロメーテウスの肝臓を喰らう不死のワシ[13]、スピンクス[14]、パイア[15]、ヒュギーヌスにおいてはさらにゴルゴーンや金羊毛の守護竜、スキュラをもテューポーンの子供に加えている[16]。テューポーンはまた、多くの荒々しい風を生んだともいわれる[17]。
ゼウスらオリュンポスの神々は、ティーターノマキアーとギガントマキアーに連勝し、思い上がり始めていた。ガイアにとってはティーターンたちもギガースたちも、わが子である。それゆえ、これを打ち負かしたゼウスに対して激しく怒りを覚えたガイアは、末子のテューポーンを産み落とした。テューポーンはやがてオリュンポスに戦いを挑んだ。
ヘーシオドスはテューポーンとゼウスの戦いの激しさを詳しく描いている。テューポーンの進撃に対し、ゼウスが雷鳴を轟かせると、大地はおろかタルタロスまで鳴動し、足元のオリュムポスは揺れた。ゼウスの雷とテューポーンの火炎、両者が発する熱で大地は炎上し、天と海は煮えたぎった。さらに両者の戦いによって大地は激しく振動し、冥府を支配するハーデースも、タルタロスに落とされたティーターンたちも恐怖したという。
しかしゼウスの雷霆の一撃がテューポーンの100の頭を焼き尽くすと、テューポーンはよろめいて大地に倒れ込み、身体は炎に包まれた。この炎の熱気はヘーパイストスが熔かした鉄のように大地をことごとく熔解させ、そのままテューポーンをタルタロスへ放り込んだ[18]。
対してアポロドーロスはテューポーンとゼウスの戦いの全貌を次のように語っている。テューポーンはオリュムポスに戦いを挑み、天空に向けて突進した。迫りくるテューポーンを見た神々は恐怖を感じ、動物に姿を変えてエジプトに逃げてしまったという[2]。それゆえ、エジプトの神々は動物の姿をしているともいわれる。
これに対し、ゼウスは雷霆や金剛の鎌を用いて応戦した。ゼウスは離れた場所からは雷霆を投じてテューポーンを撃ち、接近すると金剛の鎌で切りつけた。激闘の末、シリアのカシオス山へ追いつめられたテューポーンはそこで反撃に転じ、ゼウスを締め上げて金剛の鎌と雷霆を取り上げ、手足の腱を切り落としたうえ、デルポイ近くのコーリュキオン洞窟[注 1] に閉じ込めてしまう。そしてテューポーンはゼウスの腱を熊の皮に隠し、番人として半獣の竜女デルピュネーを置き、自分は傷の治療のために母ガイアの下へ向かった。
ゼウスが囚われたことを知ったヘルメースとパーンはゼウスの救出に向かい、デルピュネーを騙して手足の腱を盗み出し、ゼウスを治療した。力を取り戻したゼウスは再びテューポーンと壮絶な戦いを繰り広げ、深手を負わせて追い詰める。テューポーンはゼウスに勝つために運命の女神モイラたちを脅し、どんな願いも叶うという「勝利の果実」を手に入れたが、その実を食べた途端、テューポーンは力を失ってしまった。実は女神たちがテューポーンに与えたのは、決して望みが叶うことはないという「無常の果実」であった。
敗走を続けたテューポーンはトラーキアでハイモス山(バルカン山脈)を持ち上げてゼウスに投げつけようとしたが、ゼウスは雷霆でハイモス山を撃ったので逆にテューポーンを押しつぶし、山にテューポーンの血がほとばしった。最後はシケリア島まで追い詰められ、エトナ火山の下敷きにされた。以来、テューポーンがエトナ山の重圧を逃れようともがくたび、噴火が起こるという[2]。ゼウスはヘーパイストスにテューポーンの監視を命じ、ヘーパイストスはテューポーンの首に金床を置き、鍛冶の仕事をしているという[19]。ただし、シケリア島に封印されているのはエンケラドスとする説もある。
アポロドーロスはテューポーンに恐れをなした神々が動物に姿を変えてエジプトに逃亡したことについて触れているが、何人かの作家はこの伝承についてより具体的に語っている。オウィディウスによると、ゼウスは牡羊に、アポローンはカラスに、ディオニューソスは牡山羊に、アルテミスは猫に、ヘーラーは白い牝牛に、ヘルメースは朱鷺に変身した[20]。
アントーニーヌス・リーベラーリスによると、アポローンは鷹に、ヘルメースはコウノトリに、アレースは魚に、アルテミスは猫に、ディオニューソスは牡山羊に、ヘーラクレースは小鹿に、ヘーパイストスは牡牛に、レートーはトガリネズミに変身した[19]。なお、パーン神 (Pan) は、恐慌のあまり上半身がヤギで下半身が魚に化けるという醜態をさらした。この恐慌ぶりの伝承が、panic (パニック)の由来といわれている[要出典]。
語源学や比較言語学によれば、古代ギリシア語 "Τυφῶν (Tȳphōn)"、すなわち怪物「テューポーン」を意する固有名詞は、直接には「旋風」を意する語 "τύφων (tȳphōn)" に由来し[21]、最終的には逆成のインド・ヨーロッパ祖語 "dʰewh₂-" にまで遡れる可能性がある[22][23]。ここで想定された語源は「埃(ほこり)…」「靄(もや)…」「煙…」などを意する接頭辞である[22]。
英語で「台風」を意する "typhoon(英語発音: /taɪfu:n/〈日本語音写例:タイフーン〉)" の[24]直接的語源は初期近代英語の "touffon" で[21]、これは、インドを中心としてアジア各地を貿易して廻ったヴェネツィア商人で旅行家のチェーザレ・フェデリチ (Cesare Federici、英語表記:M. Caesar Fredericke)が1588年に著した航海日誌をイギリス人トーマス・ヒッコック (Thomas Hickock) が翻訳した "The voyage and trauell of M. Caesar Fredericke, Marchant of Venice, into the East India, and beyond the Indies" に初出している[21][25]。そして、この語は1560年ごろまでに初出のポルトガル語 "tufão(ポルトガル語発音: [/tu.ˈfɐ̃w̃/]〈日本語音写例:トゥファン〉)" に由来すると考えられており、この語が意するところは「嵐」「暴風雨」「(太平洋の気象現象としての)台風」である。さらに、"tufão" の由来はアラビア語 "طوفان(アラビア語発音: [ṭūfān]〈日本語音写例:トゥーファーン〉)" に求められ、「嵐」「台風」その他を意味している。この語 "طوفان" をさらに遡った先に最終的な語源と考えられる広東語「大風(拼音:daai6 fung1〈日本語音写例:タァーイフーン 日本語発音: [/ta:ɪfu:n/]〉)」がある[21]。[26]
そして、これらの経緯のどこかに以下に挙げる語が発音なり綴りなりの形で影響した可能性が指摘されている。
ゼウスの王権確立とその正当性を讃えた『神統記』は、テューポーンとの戦いに勝利した後にゼウスの王権継承と、女神たちとの結婚が歌われて幕を閉じる。ティーターンとの戦いではヘカトンケイルの力を借りて勝利したゼウスが、自らの力でテューポーンを倒すことで新しい秩序を確立することが語られているのである[29][30]。ヘーシオドスによればゼウスの王権にはプロメーテウス[31] やメーティスの子供などの危機が存在した[32]。テューポーンとの闘争についても、ゼウスがテューポーンの誕生に気づかなかったなら、テューポーンは人間と神々の上に君臨したに違いないとさえ歌っている[33]。しかし、ゼウスは致命的な事態に陥ることなくこれを迎え討ち、勝利する。そこで歌われているのは潜在的な危機を回避するゼウスの全知性と、テューポーンに勝利する強大さであり、『神統記』で一貫しているゼウスの優位性を示すというヘーシオドスの意図の中に、テューポーンとゼウスの闘争神話も組み込まれている[29]。
しかしゼウスのテューポーンに対する優位性は他の文献でも見られるわけではなく、特にテューポーンがゼウスを無力化するアポロドーロスの物語は、ウーラノスがクロノスによって去勢されたように、テューポーンによるゼウスの去勢を物語っていると指摘されている。古典学者アーサー・バーナード・クックは大著『ゼウス(原題:Zeus: A Study In Ancient Religion )』(1914-1925年刊)において、テューポーンがゼウスの鎌を奪ってゼウスの手足の腱を切除する神話は、ゼウスの去勢を婉曲的に表現したものであると結論している[34]。またクックはゼウスも自分の子供によって去勢され、廃位される運命にあると考えている[35]。
こうしたギリシア神話の王権争奪神話およびゼウスとテューポーンの闘争は、フルリ人の影響を強く受けたヒッタイト神話と多くの類似点が認められる。ヒッタイト神話では4代にわたる王権争奪神話が語られている。
まず、天空の最高神アラルは天空神アヌに敗れて逃亡する。その9年後、今度はアヌ神に叛旗を翻した我が子クマルビが父神の男性器を噛みちぎって去勢する。その際、クマルビは呑み込んだ物によって3柱ないし5柱の怖ろしい神を身籠るであろうとアヌは予言した。これを聴いてクマルビは吐き出そうとするが、しかし、クマルビの体内ではすでに天候神テシュブが成長している。やがて生まれたテシュブはクマルビと戦って打ち負かし、廃位させる。王権を奪われたクマルビは巨岩との間に巨人ウルリクムミを儲け、海で秘密裡に育てて復讐しようとする。神々はウルリクムミの巨大な姿に恐怖するが、エア神の助言により、天地を切り離した鋸でウルリクムミの足を切断した。
ヒッタイト神話の天空神アラルに相当する神はギリシア神話には見当たらないが、反旗を翻した我が子クマルビに去勢されるアヌは反旗を翻した我が子クロノスに去勢されるウーラノスと、アヌに叛乱を起こすクマルビはウーラノスに叛乱を起こすクロノスと、クマルビに叛乱を起こすテシュブはクロノスに叛乱を起こすゼウスと、神々を脅かす巨人ウルリクムミは神々を脅かす巨人テューポーンと、それぞれに対応している[36][37]。また、この物語に登場するハジ山はカシオス山のことである[38][39]。しかしながら、ヒッタイト神話がどのようにしてギリシアに伝わったかは今のところ不明である。
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