ティム・ハワード

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ティム・ハワード

ティム・ハワードTim Howard, 1979年3月6日 - )は、アメリカ合衆国出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはGK

概要 ティム・ハワード, 名前 ...
ティム・ハワード
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アメリカ代表でのハワード(2013年)
名前
本名 ティモシー・マシュー・ハワード
Timothy Matthew Howard
ラテン文字 Tim Howard
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1979-03-06) 1979年3月6日(46歳)
出身地 ノースブランズウィック
身長 191cm
体重 88kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997 NJインペリアルズ 16 (0)
1998-2003 メトロスターズ 88 (0)
1998 MLSプロ-40 (loan) 1 (0)
2003-2007 マンチェスター・ユナイテッド 45 (0)
2006-2007 エヴァートン (loan) 25 (0)
2007-2016 エヴァートン 329 (1)
2016-2019 コロラド・ラピッズ 100 (0)
2020 メンフィス901 6 (0)
代表歴
1999  アメリカ合衆国 U-20 3 (0)
1999  アメリカ合衆国 U-23 4 (0)
2002-2017 アメリカ合衆国 121 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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父親はアフリカ系アメリカ人で母親はハンガリー[1]

経歴

要約
視点

1998年にメトロスターズに入団し、2000年にはシドニーオリンピックのU-23アメリカ代表として出場[1]。2001年には正GKとして活躍し、MLSの最優秀ゴールキーパーに選出された。

さらに2002年3月10日のエクアドル戦で代表デビューを果たすと、2002 FIFAワールドカップこそ出場を逃したものの、以降は代表の正GKとして活躍。この活躍がアレックス・ファーガソンの目に留まり、2003-04シーズンにマンチェスター・ユナイテッドに移籍。シーズン序盤はファビアン・バルテズに代わって正GKとして活躍するも、チャンピオンズリーグ準々決勝のFCポルト戦での終了間際の失点を機に長いスランプに陥る。その後はロイ・キャロルとの併用となり、2005年にフラムFCからエトヴィン・ファン・デル・サールが移籍してきた後は控えとなった。シーズン後のドイツW杯でも代表には選ばれたものの、ケーシー・ケラーマーカス・ハーネマンの控えに甘んじ、チームもグループリーグで姿を消した。

2006年7月4日、エヴァートンFCレンタル移籍。長きに渡るスランプを脱し、正GKとして完全復活を果たした。2007-08シーズンよりエヴァートンに完全移籍。正GKとしてエヴァートンの堅守を支えた。

FIFAコンフェデレーションズカップ2009ではイタリア戦・ブラジル戦で計6失点を喫するも、決勝トーナメント進出を決めたエジプト戦、準決勝のスペイン戦では好セーブを連発し、チームの完封勝利・準優勝に貢献。大会選定の最優秀ゴールキーパー(ゴールデングローブ)に選ばれた。2010 FIFAワールドカップ初戦のイングランド戦では先制点は与えたものの好セーブでその1失点のみに抑え、格上相手の引き分けに貢献。大会選定のマンオブザマッチに選ばれた。また第3戦のアルジェリア戦で後半ロスタイムに先制ゴールの起点となったスローイングをしたり、決勝トーナメント1回戦のガーナ戦で延長後半にFKの際に前線まで出て、相手GKリチャード・キングソンと競り合うなどフィールドプレーヤーさながらの姿勢を見せた。2014 FIFAワールドカップにも出場し、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、延長戦となった試合で38本のシュートを打たれたが16セーブを記録した。これはワールドカップでの1試合最多のセーブ数であり、チームは敗れたもののマン・オブ・ザ・マッチに選出された[2][3]

2016年3月20日、シーズン終了後、エヴァートンを退団し、MLSのコロラド・ラピッズに移籍することが発表された[4]。退団発表時点でプレミアリーグで352試合に出場しており、これはクラブの最多出場記録である[5]

2019年1月22日、2019年シーズン限りでの現役引退を発表した[6][7]。10月に正式に引退[8]

2020年3月4日、USLチャンピオンシップメンフィス901FC英語版の共同オーナー兼スポーツディレクターに就任し、選手契約も交わして現役復帰を果たした[9]。2020年シーズン終了後に再び引退。

また、2020年9月からNBCSNプレミアリーグの解説者を務めている[10]

人物

幼少時はバスケットボールでも将来を嘱望されていた。

比較的軽度であるが、トゥレット症候群の診断を受けており、同病の患者団体のための活動もしている。

2012年1月4日、対ボルトン・ワンダラーズ戦で自陣ペナルティエリアから蹴ったボールが相手ペナルティエリア付近で大きくバウンドし、そのまま相手ゴールに入った。ゴールキーパーによる得点はリーグ史上4人目[11]

ファンからかつて所属したエヴァートンのライバルチームであるリヴァプールでプレーするか、引退かを選ぶなら?と質問され、引退を選ぶと答えた[12]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 121試合 0得点(2002年-2017年)[13]
さらに見る アメリカ代表, 国際Aマッチ ...
アメリカ代表国際Aマッチ
出場得点
200220
200370
200430
200520
200620
2007100
200890
2009130
201090
2011150
2012120
2013120
201480
201520
201650
2017100
通算1210
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脚注

外部リンク

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