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喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下の中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表[3]。
琉球民謡を元にした独特のメロディとウチナーグチ(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。実妹らと共に結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド・ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
平和活動に携わり、「すべての人の心に花を(「花」の副題でもある)、すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」というメッセージを発信し続けている。2002年3月13日には、このメッセージをテーマとするNGOピースメーカーズ・ネットワーク(PMN:Peace Makers Network)設立。2007年NPO法人登録[4]。
スピリチュアルな世界でも存在感があり、アメリカに進出したインド人グルのバグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚、Osho)と交流を持ち[5]、彼の講話の邦訳『禅宣言』にまえがき[6]を寄稿した。「14世ダライ・ラマ法王と中国政府首脳との直接対話を求める声明文」に賛同者として名を連ねている[7]。また、フランス生まれのUFO信仰の新宗教ラエリアン・ムーブメントの教祖クロード・ボリロン(ラエル)が沖縄に移住しているが、評論家の篠原章は、喜納を慕っての移住としている[8][5]。
2003年3月米英によるイラク攻撃が間近に迫るなか、喜納はイラク攻撃を回避するため「“祭り”によって魂を解放し、歌や踊りといった文化のエネルギーを爆発させる事が出来たなら、破壊から創造へと軌道修正できるかもしれない」と『戦争よりも祭りを!』のスローガンを掲げ祭を起こそうとイラクへ向かう。バグダードでエイサーを踊りながらピースパレード、コンサートなどを行い、世界のNGOによる記者会見ではその中心に座って「地球はブッシュやブレアやフセインなど政治家たちだけのものではない。戦争よりも祭りを!」と世界に向かってメッセージを発した[9]。
2004年、米英が国連の決議なしでイラク攻撃に踏み切り日本政府はこれを追認したとし、「もう政治家たちに政治を任せておくことは出来ない」と、参議院比例区に民主党から出馬し当選。
民主党内においてそれぞれ距離のあった小沢・鳩山・菅の3名の間の橋渡しを買って出、民主党を政権奪取に導いたトロイカ体制が構築される上で重要な役割を果たしたと言われる[9]。
また、民主党の与党時代には沖縄県連代表として下記の政策を実現させている。
2014年11月の沖縄県知事選挙では米軍普天間基地の辺野古移設問題が争点となった。出馬を表明していた翁長武志那覇市長が辺野古移設反対を唱えながら、仲井間知事が与えた辺野古埋め立て承認の取消し・撤回を公約しないことは欺瞞であるとして、自身の出馬を表明する。同時に翁長陣営に対し、承認の取消し・撤回を公約とするならば出馬を取りやめると申し出たが、翁長陣営はこれを拒否し公約を変えることはなかったため、出馬を断行。 喜納の意向に対して、辺野古移設を容認する民主党本部は立候補取りやめ、もしくは離党を求めた。これに対し、喜納は10月10日に沖縄県連代表を辞任したが、党本部の求める立候補中止と離党については拒否。党本部はこれを「重大な反党行為」に当たるとして同月14日、常任委員会において喜納の除籍処分を決定した[11]。投開票の結果、得票数最下位で落選。
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