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競走馬 ウィキペディアから
ダンテ (Dante) はイギリスの競走馬および種牡馬。馬名の由来は中世イタリアの詩聖「ダンテ・アリギエーリ」より。全弟にアイリッシュダービーやセントレジャーステークスを勝ったサヤジラオ (Sayajirao) が、半兄に日本で種牡馬入りしタニノハローモアやスターロツチなどを輩出したハロウェー(Harroway)がいる。
ダンテはイギリスの辺境の街、ミドルハムで調教された。デビューすると3馬身差で圧勝し、それ以降も圧勝の連続。ダンテはデビュー前、それ程期待された馬ではなかったが、それを覆してダンテの名をイギリス中に広めた。後にG1に格付けされるイギリスの2歳短距離最強馬決定戦ミドルパークステークスでも後続に2馬身差をつけ快勝。2歳時を6戦無敗、それも全て圧勝という内容でシーズンを終える。
翌年はクラシックに向けて地元のレースに出走すると、単勝1.1倍という圧倒的な1番人気に応え、後続に4馬身差をつける楽勝、イギリス2000ギニーに向けて快調な出だしを飾った。が、本番直前の調教で別馬が蹴飛ばした小石が目に当たり、右目に傷を負ってしまった。陣営は大した傷ではないとしてイギリス2000ギニーに出走し1番人気に支持されたが、その傷が影響してかコートマーシャル (Court Martial) にクビ差で逃げ切られ、生涯初の敗戦を喫してしまった。しかし医師から目の治療を受けたダンテは、第二次世界大戦のためニューマーケット競馬場で代替開催されたイギリスダービーに出走した。2000ギニー以降も評価が劣らなかったダンテは再度1番人気に支持された。すると、ミダス (Midas) 、コートマーシャル以下に2馬身差をつけ、ニューマーケット競馬場で開催されたイギリスダービーの最速タイムで優勝。ミドルハムでは鐘を鳴らし、町全体がこの勝利を祝福した。
その後はセントレジャーステークスを目標に調整が進められていたが、調整が間に合わないとしてこれを回避、結局ダービー後は1戦も出走することなく引退となった。
※当時グループ制なし
引退後はシークトンスタッドで種牡馬入り。自身が敗れた2000ギニーを勝ったダリウス (Darius) をはじめ、数々の活躍馬を輩出・成功し、ダンテ系を形成した。目の傷は最後までダンテを苦しめ、最終的には完全に失明してしまったが、それでも種牡馬としての役割は果たしていた。
※当時グループ制なし
ダンテの血統(ネアルコ系 / St.Simon 5×5×5=9.38%、St. Serf 5×5=6.25%(母内)) | (血統表の出典) | |||
父 Nearco 1935年 黒鹿毛 |
父の父 Pharos1920年 鹿毛 |
Phalaris | Polymelus | |
Bromus | ||||
Scapa Flow | Chaucer | |||
Anchora | ||||
父の母 Nogara1928年 鹿毛 |
Havresac | Rabelais | ||
Hors Concours | ||||
Catnip | Spearmint | |||
Sibola | ||||
母 Rosy Legend 1931 黒鹿毛 |
Dark Legend 1914 黒鹿毛 |
Dark Ronald | Hampton | |
Darkie | ||||
Golden Legend | Amphion | |||
St. Lucre | ||||
母の母 Rosy Cheeks1919 黒鹿毛 |
St. Just | St. Frusquin | ||
Justitia | ||||
Purity | Gallinule | |||
Sanctimony F-No.3-n |
全兄弟にSayajirao
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