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スピーカーズ・コーナーは、さまざまな人が日々自説を論じる場所。ロンドンのハイド・パークの北東隅にあるものが有名。ここでは、演説しようとする人はイギリス王室への批判とイギリス政府の転覆についての2つを除けばいかなる話題についても、法的問題を気にすることなく語ることができる。
一般に、ハイド・パークとはマーブル・アーチ近くの舗装された区域だと思われているが、実際にはリフォーム・ツリー (Reform Tree) や付近の観兵式場などの広大な区域を含む。
1855年、日曜営業規制法に反対する暴動がこの公園で発生した。同法は当時唯一の労働者の休日であった日曜日の商業活動を禁止するもので、この様子はカール・マルクスがイギリスにおける革命の始まりであるとして詳細に記述している。
チャーチスト運動ではこの公園が労働者の抗議集会の会場となったが、常設の場が設けられることは無かった。改革連盟 (Reform League) は1866年から翌年にかけて、労働者の選挙権拡大を求める大規模で激しい運動を展開した。
これら民主的改革を求める暴動や運動を受け、ハイド・パークにおける「演説する権利」について考えるものも現れた。1872年の王立公園及び庭園法 (Royal Parks and Garden's Act) では、集会の許可権限を(中央政府ではなく)公園当局に委任した。人々はこれによりスピーカーズ・コーナーにおいて自由に弁論を行う権利が得られると考えたが、実際はそうではなかった。同法に対する国会での議論では、これは公園内における集会・演説を無制限に認めるものではないとされた。しかし、公園の一部はそのような目的に使用できることとなった。
それ以来、スピーカーズ・コーナーは英国における抗議や集会のための場としてのほか、演説や議論を行う公の場として機能するようになったとされている。
ただし、かつて死刑執行のための絞首台が設置されていたタイバーンにおいて、囚人が最後に末期の言葉を語ることができたという事情に発祥を求める説もある。
スピーカーズ・コーナーで活躍した演説家の大半は、その後主流となることが無かったが、中にはカール・マルクス、ウラジーミル・レーニン、ジョージ・オーウェル、ウィリアム・モリスといった後の有名人も含まれていた。誰もが、いかなる事前手続きも必要なく、ほぼあらゆるテーマについて語ることができるという点で、スピーカーズ・コーナーの存在は言論の自由、そしてこれを行使することにより課される、批判も受ける責任を体現したものとして、しばしば支持される。
一方、特定の場所においてのみ演説を許可するのは、権力者がロンドンの公共の場の大半での言論の自由を制限するためで、スピーカーズ・コーナーはそのために利用されている、という批判もある。事実、王立公園内でもスピーカーズ・コーナー以外の場所での演説は成文法によって明確に禁止されている。たとえば19世紀後半には、ロンドン・カウンティ・カウンシル (London County Council) によって、社会主義者が集会や演説が行えるのはスピーカーズ・コーナーなどごく一部に限られていた。
2003年に公園当局は、2月15日からイラク侵略に関する演説を禁止しようとした。これは大規模な反対運動に遭い、撤回を余儀なくされた。運動は英国史上最大級の規模となり、100万人以上が参加した。
最寄り駅はマーブル・アーチである。
著名な弁士
以下の団体や個人は、スピーカーズ・コーナーでの演説に実績のあるものである。
フィンズベリー・パーク、クラパム・コモン、ケニントン・パーク、ヴィクトリア・パークなどに同様の趣旨を持つ場が多く存在する。
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