ジョージア州立大学

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ジョージア州立大学(Georgia State University, 略称:GSU)は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタにある研究型州立大学[9]。ジョージア大学システムの1校として、1913年に創立。州内で学生数の最も多い大学であり、全米学生数トップ10に入ったこともある。2018年時点では、学生総数はおよそ5万3千人。そのうちおよそ3万3千人がメインキャンパスで学んでいる[10]

概要 旧称, モットー ...
ジョージア州立大学
Georgia State University
旧称 ジョージア工科大学付属夜間商業学校(1913年-47年)
ジョージア大学アトランタ校(1947年-55年)
ジョージア州立経営大学(1955年–61年)
ジョージア・ステート・カレッジ(1961年–1969年)[1]
モットー Veritas valet et vincet (ラテン語)[2]
モットー (英語) Truth is valuable and shall overcome[2]
種別 州立
設立年 1913年
上位機関 ジョージア大学システム
学長 マーク・P・ベッカー[3]
プロヴォスト ウェンディ・ヘンセル[4]
教員数
1,586人 (2018年秋)[2]
職員数
3,627人 (2018年秋)[2]
学生総数 52,814人 (2018年秋)[5]
学部生 44,735人 (2018年秋)[5]
大学院生 6,789人 (2018年秋)[5]
博士課程在籍者
1,866人 (2018年秋)[5]
所在地 アメリカ合衆国[6]
30303 ジョージア州アトランタ33ギルマー・ストリートSE
北緯33度45分13.3秒 西経84度23分09.5秒[7]
キャンパス ダウンタウン・アトランタ・キャンパス(メインキャンパス):
109.87 acres (0.445 km2);
キャンパス面積 (ペリメーター・キャンパスを含む):
440.06 acres (1.781 km2);
総面積:
771.41 acres (3.122 km2)[2]
大学新聞 ザ・シグナル
スクールカラー 青・白[8]
運動競技 NCAAデヴィジョンI
ニックネーム パンサーズ
マスコット ブルー・パンサー
公式サイト www.gsu.edu
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米国の大学分類ではR1(高度研究型大学)に分類されている[11]。2018年度(2017年10月-18年9月)の研究費は2億米ドル以上であり、医学部、農学部、工学部を有しない大学としては3年間全米トップ、公立大学全体でも全米で408大学中78位である[12][13]。公立大学として州最大の規模を誇る総合大学であり、10学部・研究科に100以上の研究分野、250以上の学位課程を提供する[14]大学図書館には総合図書館と法学部図書館があり、総合図書館はメインキャンパス内の北館・南館に加え、ペリメーター・キャンパス内に分館がある。蔵書数は両館共に1,300万点を超え、連邦文書も保管している[2][15][16]

概要 大学ランキング, 国内 ...
大学ランキング
国内
フォーブス[17] 513
USNWR[18] 211
WM英語版[19] 147
世界
ARWU[20] 501-600
QS[21] 751–800
タイムズ[22] 401–500
USNWR[23] USNWR
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歴史

ジョージア工科大学附属夜間商業学校として1913年に創立[24]。1930年代にはジョージア大学システムの一部に組み込まれ、アトランタ公開教育部として再編成。夜間学校の生徒に対しても大学の学位が授与されるようになった[25]。また、この時期にはジョージア夜間カレッジとアトランタ・ジュニア・カレッジの2つに分かれていた[26]。1947年9月にはジョージア大学附属となり、ジョージア大学アトランタ校に名称が変更[27]

以上のように、1913年から47年まではジョージア工科大学、47年以降はジョージア大学と創立からおよそ40年間にわたって当校は他大学の付属校として発展した[28]。しかし、1955年に4年制大学のジョージア州立経営大学として独立させることが理事会で決定される[29]。そして、1927年から校長を務めていたウォルター・スパークスが初代学長に就任した。そして、大学の発展と共に総合大学化が進み、1961年にジョージア・ステート・カレッジ[28]、1969年に現名称のジョージア州立大学に改名した[30]

1995年には大学システム理事会が同大学を「研究型大学」とすることに合意。同大学システムでは、ジョージア工科大、ジョージア大、オーガスタ大に次ぐ4番目の研究型大学となった[31][32]

黒人学生を初めて受け入れたのは1962年。ジョージア工科大、ジョージア大より1年遅れてであった[33][34]

組織

  • 政策学(Andrew Young School of Policy Studies)
  • 看護・医療学(Byrdine F. Lewis College of Nursing and Health Professions)
  • 芸術学(College of the Arts)
  • 教養・科学(College of Arts & Sciences)
  • 教育・人間開発学(College of Education and Human Development)
  • ビジネススクール(J. Mack Robinson College of Business)
  • ロースクール(College of Law)
  • 公衆衛生学(College of Public Health)
  • 生物医学(Institute of Biomedical Sciences)
  • オナーズカレッジ(Honors College)
  • ペリメターカレッジ(Perimeter College)

キャンパス

一棟で始まった夜間学校時代から現在に至るまで、一貫してアトランタ中心部にキャンパスを構えている。1960年代初期の頃からはある種の自虐を込めて「コンクリート・キャンパス」と呼ばれていたが[35]、現在では愛称として学生に受け入れられている[36]。また、アトランタ中心部の経済発展に伴い大学も「街外れではない。街の一部。」というスローガンを持ち出している[37]

著名な出身者

脚注

外部リンク

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