ジョン・テニエル
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ジョン・テニエル(John Tenniel, 1820年2月28日 - 1914年2月25日)は、イギリスのイラストレーター。
ルイス・キャロルの児童文学『不思議の国のアリス』および『鏡の国のアリス』の挿絵を手がけたことで知られ、19世紀半ばから約50年間にわたり風刺漫画誌『パンチ』で数多くの風刺漫画を手がけた。
1820年、ロンドンに生まれる。英国王立美術院学校に入学するが間もなく学校を離れ、絵画はほぼ独学で身につけた。
1836年、テニエルは16歳で最初の油彩画をイギリス王立美術家協会の展覧会に出品する。20歳のとき、フェンシングの教官だった父と試合をしていて右目を失明する。
1845年にはウェストミンスター宮殿の壁面デザインとして16フィートもの風刺漫画を出品し、その年に開催されたコンテストの公平性を揶揄した。これがきっかけで、イギリス貴族院の詩の広間のフレスコ画の依頼を引き受ける。
作品の芸術性やユーモアのある観察眼、動物の生態への豊富な知識をダグラス・ジェロイド (Douglas Jerrold) に買われて、テニエルはイソップ童話の挿絵を依頼される。最初に描いたのは「ジャックと豆の木」で、首相ジョン・ラッセル(John Russell)に宛てた手紙に同封した。この挿絵の中で、巨人はニコラス・ワイズマン枢機卿そっくりに描かれていた。このイソップ童話は1848年に出版される。
カトリックとの対立のため『パンチ』を去ったリチャード・ドイル (Richard Doyle) の代わりとしてマーク・レモン (Mark Lemon) に誘われて、1850年のクリスマスにテニエルは『パンチ』に参加する。テニエルは当時のチーフだったジョン・リーチ (John Leech) とはよく似た作風であった。ジョン・リーチの死後もチーフを受け継いで活動を続け、2300の風刺漫画や250のパンチのポケットブックのデザイン、小説の挿絵などを残した。
彼の妹は19世紀前半に活躍した画家ジョン・マーティンの息子レオポルドと結婚した。
He also contributed to Once a Week, the Art Union publications, etc
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