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ナイジェリアのサッカー選手 ウィキペディアから
ジョゼフ・イクポ・チコアズル・ヨボ(Joseph Ikpo Chicoazul Yobo, 1980年9月6日 - )は、ナイジェリア・カノ出身のナイジェリア代表のサッカー選手。ポジションはMF、DF。
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名前 | ||||||
本名 |
ジョゼフ・イクポ・チコアズル・ヨボ Joseph Ikpo Chicoazul Yobo | |||||
ラテン文字 | Joseph Yobo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ナイジェリア | |||||
生年月日 | 1980年9月6日(44歳) | |||||
出身地 | カノ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF,DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2001 | スタンダール・リエージュ | 46 | (2) | |||
2001-2003 | マルセイユ | 23 | (0) | |||
2001-2002 | → テネリフェ(loan) | 0 | (0) | |||
2002-2003 | → エヴァートン(loan) | 24 | (0) | |||
2003-2012 | エヴァートン | 220 | (8) | |||
2010-2012 | → フェネルバフチェ (loan) | 69 | (2) | |||
2012-2014 | フェネルバフチェ | 21 | (1) | |||
2014 | → ノリッジ (loan) | 20 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2001-2014 | ナイジェリア | 100 | (7) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年5月11日現在。 2. 2014年7月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1996年、ナイジェリアのサッカークラブミシュラン・ポートハーコートのユースチームに加入。現クルー・アレクサンドラ所属のジョージ・アビーと共に成長した。二人は大の親友である。
1998年にベルギーの強豪スタンダール・リエージュへ移籍。トップチームデビューは2000年。3年間在籍し、46試合に出場し2得点を挙げている。
2001年にはフランスのオリンピック・マルセイユへ移籍を果たしたが、デビューしてすぐにスペインのCDテネリフェへローンで放出される。しかし、テネリフェでは9ヶ月間在籍したが1試合も出場することはなかった。
2002年にアーセナル、ユヴェントスなどからオファーを受けるも、それらを断り7月7日にローンでエヴァートンへ移籍。モイーズ政権で最初の移籍選手となった。また、当初はイングランドに移籍する気はなかったが、マクルズフィールドでプレー経験のあるジョージ・アビーに相談し、彼の助言のおかげで移籍する事が出来たと後に語っている。
モイーズはヨボのパフォーマンスに驚嘆し、即座に完全移籍のオファーを提示。長期間に渡る交渉の末、2003年5月22日におよそ£5mをマルセイユに支払い完全移籍を果たした。
2003-04シーズンには、エバートンの年間最優秀若手選手賞を受賞。2006年7月22日、5年間の大型契約を結んだ。
2006-07シーズンはリーグ戦全試合に出場。UEFAカップ出場権獲得に貢献した。2007-08シーズンのUEFAカップ対AELラリッサにおいては、フィリップ・ネビルの不在もありチームキャプテンを務める事になった。クラブ創設130年余の歴史の中で、アフリカ人選手がエバートンのキャプテンマークを巻いたのはヨボが初めてである。
2009年5月22日、エヴァートンとの5年契約にサインした。しかし、エヴァートンでは同時期に加入したシルヴァン・ディスタンとヨニー・ハイティンハ、さらにはフィル・ジャギエルカの前になかなか出番に恵まれず、2010年8月31日、トルコのフェネルバフチェへレンタル移籍。2年間のレンタル移籍を経て、2012年8月4日に250万ユーロでフェネルバフチェへ完全移籍した[1]。
2014年1月30日、ノリッジ・シティFCにレンタル移籍し、3年半ぶりにプレミアに復帰した[2]。
2002年のアフリカネイションズカップでは全6試合に出場。準決勝でセネガルに敗れるも、3位決定戦ではマリ代表に1-0で勝利した。また、日韓W杯でも全試合出場を果たしたが、死のグループと言われたF組のクジを引いたことにも影響され、ナイジェリアはグループリーグで敗退した。
2007年、ナイジェリアの恵まれない子供達を支援すべくJoseph Yobo Charity Foundation(ジョセフ・ヨボチャリティー財団)を設立した。
村の子供達が通う小さな学校から大学に至るまで、およそ300校以上のスクールに奨学金を寄付した。(2007年7月18日時点)
また、アヤックス・ケープタウンFCに倣って設立されたEverton Lagos FC(エバートン・ラゴスFC)と連携し、ナイジェリアのオゴニ地区にフットボール・キャンプを開いた。
2008年7月5日、ポートハーコートで弟のノルム・ヨボが武装集団に誘拐された。彼らは身代金を要求してきたが、結局12日後の17日に無事解放された。この間エバートンのビル・ケンライト会長は、ヨボに「我々は家族だ。苦しい時は私に何でも言いなさい。」と言葉をかけた。その後も毎日ヨボの元を訪ねて相談に乗っていた。この事にヨボは大変感謝し、恩返しに更なる飛躍を誓う旨のコメントを出している。
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