ヤン・クシチテル・クルンプホルツJan Křtitel Krumpholz, 1742年5月8日 - 1790年2月19日[1])はボヘミア出身のフランス作曲家ハープ奏者。少年時代をパリに過ごし、ジャン=バティスト・クルムフォルツJean-Baptiste Krumpholz)のフランス語名で有名。

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父親からハープを学び、1773年ウィーンのブルク劇場で自作の協奏曲を演奏して成功を収める。1773年から1776年までエステルハージ伯爵の宮廷楽団に勤める。この間にフランツ・ヨーゼフ・ハイドン対位法を師事したと伝えられる。その後にヨーロッパ各地で演奏旅行を敢行。パリとメスにおいて楽器職人とともにハープの改造にとりくむ。ハープのためのソナタ協奏曲のほか、ハープを含むアンサンブルのための室内楽曲を遺した。

クルンプホルツは、同じくヴィルトゥオーソのハーピストであった妻アンヌ=マリー(1755年 - 1824年)が、ピアニストヤン・ラディスラフ・ドゥセックロンドンに駆け落ちしてから、セーヌ川溺死体となって発見された。入水自殺であったと見られている。

脚注

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