ジャラ・ナート・カナール
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ジャラ・ナート・カナール(ネパール語: झलनाथ खनाल、英: Jhala Nath Khanal、1950年5月20日 - )は、ネパールの政治家。統一共産党議長、2011年2月から8月まで同国首相。制憲議会議員(イーラム第1選挙区)。元情報通信大臣。「ジャラ・ナト・カナル」「ジャラ・ナス・カナル」とも表記されるが「ジャラ・ナート・カナール」が正しい。
ネパール東部のイーラム郡生まれ。C.P.マイナリらとともに、ジャパ郡での武装蜂起に加わり、やがてマイナリらとネパール共産党マルクス・レーニン主義派(通称「マレ」)を結成した。1982年-1986年、総書記を務めている。前任のチャンドラ・プラカシュ・マイナリが武装闘争路線で失敗した後を受けて、大衆による民衆運動の路線をとった。しかし、マダン・クマール・バンダリーが“複数政党制コミュニズム”を打ち出すとこれに反対した。
1991年、ネパール共産党マルクス主義派と合同して、統一共産党(ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派)の設立に参加。
マーダブ・クマール・ネパールが2008年の制憲議会選挙の敗北の責任を負って総書記を辞任した後、党総書記に任ぜられる。
2008年8月15日の首相選挙では毛沢東派のプラチャンダ候補を支持し、連立与党に加わった。
2009年2月16日からブトワルで開催された第8回党大会で、マン・モハン・アディカリの死後空席となっていた議長に選出された。
2011年1月3日、マーダブ・ネパールの引退表明から後任が決まっていなかった首相職に指名される。ジャーナリストの小倉清子はカナールのほうが、ネパールより強いリーダーシップが取れると指摘していたが、混迷を収拾できず同年8月14日に辞表を提出した。
公職 | ||
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先代 マーダブ・クマール・ネパール |
ネパール連邦民主共和国首相 第4代:2011年 |
次代 バーブラーム・バッタライ |
党職 | ||
先代 マーダブ・クマール・ネパール |
ネパール共産党書記長 (統一マルクス・レーニン主義派) 2008年 - 2009年 |
次代 イーシュワル・ポクレル |
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