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サタデー夢ラジオ(サタデーゆめラジオ)は、青森放送ラジオ(RABラジオ)で放送されていたラジオ番組。前身の番組は、『ハートフルサタデー』(午前)・『ぴっといんサタデー』(午後)。
正式なタイトルは「(メインパーソナリティの名前)とサタデー夢ラジオ」である(放送開始 - 2004年3月頃は「新鮮!パワフルワイド (メインパーソナリティ)とサタデー夢ラジオ」(しんせん!パワフルワイド ()とサタデーゆめラジオ)というタイトルだった)。略称は「夢ラジオ」・「夢ラジ」。
番組開始当初は、当時青森放送アナウンサーだった大友寿郎が初代のメインパーソナリティを務め、二川原聡子らの女性アナが脇を固めた。放送時間は7:00 - 17:45で、当時日本最長のラジオ番組といわれた[注 1][1]。
余談だがウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー(STVラジオ)の放送時間を抜いた時は(土曜 8:00 - 17:00)日高晤郎ショーのスタッフが驚愕したと、2015年12月24日 - 25日放送の「ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」内で一夜限りで復活したチャリティー夢ラジオの中で大友が語っていた。
1991年10月に秋山博子アナウンサーが加入し、1997年3月まで大友・秋山コンビが続いた。青山良平も7:45頃(おはようほっとスタジオ出演のため)から出演していた。
1995年10月に放送時間が17:15までとなり、中部日本放送(現:CBCラジオ)の「マラソンRadio 多田しげおのまるっと土曜日」に放送時間最長の座を明渡した。その際は中部日本放送と回線を繋ぎ、放送をしたこともある。
1991年9月28日早朝に青森県に台風19号が襲来した際は、番組内容を大幅に変更して、リスナーから提供された情報などを中心に災害情報を伝え続けた。なお、リスナーから寄せられた情報は約700件。翌29日の陸奥新報には、リスナーから寄せられた情報に対し、青森放送からお礼の広告が掲載された。また、この日放送分の内容は、番組冒頭約24分間の部分と通常通り放送されたコーナー及びCM部分を除き『台風19号、ラジオ災害放送の記録』(記録史)として、同年11月30日に青森放送から発行された。
1997年3月に大友アナが異動に伴い降板すると大友アナのパートナーだった秋山アナが2代目メインとなる。パートナーは民謡歌手の横山秀樹。
1999年9月、秋山アナは当時担当していた「ズームイン!!朝!」に専念したいという理由で8年近い担当にピリオドを打つ。10月からは古池アナが3代目メインとなり、パートナーに落合こず恵アナウンサーを迎える。
2002年4月に放送時間は15:00に短縮されるが、半年後には16:00に再延長される(15:00 - 16:00は「ぽやらんアワー」という生放送番組、16:00 - 17:00は現在に渡って後述の各局別番組となった)。
2004年3月、古池・落合の両アナウンサーが降板し、翌月からは4代目メインとして、ピアニストの岡田照幸が、そして田村啓美がパートナーとなる。内容も高い年齢層をターゲットとしたものに生まれ変わった(この時、タイトルから「新鮮!パワフルワイド」が外れた)。スタート当時から使われてきたジングルもほぼ全面リニューアルし、テーマ曲は岡田が作曲・演奏したものが使われていた。なお、田村が「ズームイン!!サタデー」・「月刊 元気一番"生"テレビ」出演時[注 2]や出張時には主に筋野裕子(以前は米澤章子)が代役を務めた。また、ゲストパーソナリティーを毎週一人招く形式になった(現在は頻度は少ない)。
2006年10月改編で放送時間は9:00 - 13:00とこれまでの半分以下に短縮される。午後の時間帯は13:00 - 15:00は「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」(文化放送)をネット受けし(10月21日からネット開始)、15:00 - 16:00は「夢ラジ+」という番組に移行することになった。「みのもんたの〜」が文化放送で休止の場合は1時間延長することがある。
内容は基本的にメッセージテーマを設け、リスナーからのメッセージを募る。メッセージ大賞に選ばれると5000円の商品券、準大賞に選ばれると3000円の商品券がもらえる(以前は大賞は10000円・準大賞は5000円だった)。時間短縮後はテーマを設けずメッセージとリクエストを募集する形式に変更した。
16時台は1989年の番組開始時より青森放送局と野辺地中継局・八戸放送局と十和田中継局・弘前放送局と深浦中継局で独自の番組が放送されている[注 3]。これらの番組は2002年3月までは夢ラジオの中に内包されており、直前には弘前支社・八戸支社のスタジオと回線を結んでパーソナリティとのクロストークもあった。青森放送局制作では「夕焼けリクエスト」としてメッセージ紹介やクイズコーナーやドキュメント1630があった。いずれも短縮後は分離されている。
2009年4月4日の放送をもって岡田・田村による放送は終了。
同年4月11日放送分より、メインは成田洋明、パートナーは樋田かおりが務める。また、「みのもんたの〜」をネットしていた13:00 - 15:00枠を吸収し16:00までに時間を拡大。7時間という長時間の放送となった。
2011年3月26日の放送をもって、樋田がRAB退社に伴い番組を卒業した。同年4月2日からは、元青森朝日放送アナウンサーで同月RABに入社したばかりの柳瀬若菜がパートナーを務めたが、妊娠に伴う体調不良の為、2012年8月25日の放送途中で降板し、番組最終回まで復帰が出来なかった。なお、最終回のエンディング近くに生電話で番組に出演、妊娠6ヶ月である事を報告し、そのままRABを退職した。
同年9月29日をもって放送終了。23年間の歴史に幕を閉じた。
2002年4月から半年間だけ放送された。後の夢ラジ+と同じような内容であったが、パーソナリティーは週代わりでRABのアナウンサーが務めた。しかし、それまで放送されていた15時台の夢ラジオとさほど内容が変わらないこともあり、半年で終了し夢ラジオに吸収される形となった。
2006年10月〜2009年4月4日放送分まで、文化放送の「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」のネットに伴い番組が分断されることになった。その分断された15時台に『夢ラジ+』(ゆめラジプラス)として放送された。
内容はメッセージテーマを設けリクエスト曲も募集する形式。かつての青森エリア限定の「夕やけリクエスト」に近い構成。の途中、RFラジオ日本、またはラジオNIKKEI制作の競馬中継を内包する。パーソナリティは田村アナ(上記の理由で出られない場合は筋野アナが代行)と夢ラジオのレポーターの成田洋明。「みのもんたの〜」が短縮された場合等(主にスポーツスペシャル放送時など)は時間を繰り上げ、延長して「夢ラジ+α」(ゆめラジプラスアルファ)として放送される場合もあった。
なお、2007年1月13日 13:24に千島列島沖で発生した地震とそれに伴う津波注意報発令に伴う関連情報を放送したため、事実上放送時間枠拡大していた(元々は「みのもんたの〜」が文化放送で大学ラグビーの中継が行われたため短縮されたことにもよる)。
なお、中島と奈良岡の両名は、16時からの各放送局(前者:八戸、後者:弘前)の番組を担当している。 2011年10月1日から2012年9月29日までは、青森放送局の16時からの番組を担当している楠美が、リポーターに加わっていた。
2006年9月16日の放送では「夢の夢ラジオ」として約9年半ぶりに大友寿郎が、MCを担当した。また、CMの前後に流れるジングルも大友担当時のものが久々に流れたほか、伊奈かっぺいや青山良平との久々の“競演”もあった。ちなみに12時台の時間読みでは岡田・田村は“12:00”と言っていたが、大友は“0:00”と言っていた。また、10日後の9月26日放送「@なまてれ」ではこの日のオープニング部分のごく一部がテレビを通して放送された。
2012年3月3日の放送は、通常のコーナーを休止し、12:00から15:00まで、ラジオ沖縄と共同で「あずましーな沖縄 めんそーれ青森 北と南でラジオ合戦!」を放送した[3][4]。なお、交換リポーターとして、青森放送からは本番組の成田が沖縄に、ラジオ沖縄からは伊波紗友里アナウンサー(当時)が青森にそれぞれ行った[注 5]。
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