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ゲーリー・プレーヤー
プロゴルファー ウィキペディアから
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ゲーリー・プレーヤー(Gary Player, 1935年11月1日 - )は、南アフリカ・ヨハネスブルグ出身のプロゴルファー。メジャー大会通算9勝を挙げ、男子ゴルフ史上3人目の「キャリア・グランドスラム」達成者となった。トーナメント第4ラウンドは黒衣を纏ってプレイすることから「南アの黒豹」と呼ばれる。アフリカから登場した最初の本格的なプロゴルファーとして活躍してきた、ゴルフ界を代表する偉人の1人である。
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経歴
ゲーリー・プレーヤーは父親が金鉱掘りの仕事に従事していたことから、経済的には恵まれた家庭に育ったが、8歳の時に母親を亡くしている。14歳からゴルフを始め、1953年に18歳でプロ入り。それまで、ゴルフ界は大半がアメリカやイギリスの選手たちで占められていたため、プレーヤーはアフリカ出身のゴルファーの開拓者となり、故国の南アフリカやオーストラリアなど世界各国のツアーを回り始めた。
彼のゴルフツアー優勝記録は、1956年から始まる。1957年からアメリカPGAツアーにも参戦を開始する。1959年の全英オープンでメジャー大会初優勝を達成。マスターズ・トーナメントは1961年、全米プロゴルフ選手権は1962年に初優勝を果たし、ついに1965年の全米オープンでメジャー大会4冠獲得を成し遂げる。こうしてプレーヤーは、ジーン・サラゼン、ベン・ホーガンに続くゴルフ史上3人目の「キャリア・グランドスラム」達成者となった。すぐ翌年の1966年に、ジャック・ニクラスが続いてキャリア・グランドスラムを達成した。
1974年に世界ゴルフ殿堂が設立され、プレーヤーは直ちに殿堂入りを果たす。この年のプレーヤーはスランプから復活し、第38回マスターズ優勝、第103回全英オープン優勝(ロイヤルリザム&セントアンズ)、ブラジルオープンで世界初のラウンドスコア59を記録するなど、9勝を挙げる活躍。
彼のメジャー大会優勝記録は、1978年のマスターズまで続き、総計「9勝」となった。通算9勝は、ベン・ホーガンと並ぶ歴代4位タイ記録である。PGAのレギュラー・ツアーでは総計「24勝」を挙げたが、1978年にマスターズを含む年間3勝を記録したのが最後になった。国際試合の勝利を含めると、プレーヤーの優勝回数は100勝を上回る。PGAの「チャンピオンズツアー」(50歳以上の選手を対象にしたツアー)でも通算19勝を挙げた。
最近はプレジデンツカップで国際選抜チームの監督(2003年、2005年)を務めるなど、今なおプロゴルフ界の重鎮として多大な尊敬を集めている。プレーヤーの故国南アフリカからも、アーニー・エルスやレティーフ・グーセンなどの後輩選手たちが世界トップクラスの名選手として活躍している。
白いパンを食べず、ライ麦パンなどを好む。
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プロ優勝
要約
視点
PGAツアー(24)
太字はメジャー大会
欧州・国際優勝
- East Rand Open: 1955, 1956
- General Motors Open: 1971, 1973, 1974, 1975, 1976
- ICL International: 1977
- Liquid Air Tournament: 1963
- Natal Open: 1958, 1959, 1960, 1962, 1966, 1968
- Nissan Skins Game: 1986, 1988, 1991
- Rand International Open: 1974
- Richelieu Grand Prix, Capetown: 1963
- Richelieu Grand Prix, Johannesburg: 1963
- South African Masters: 11勝 (1960, 1964, 1967, 1971, 1972, 1973, 1974, 1976, 1977, 1979(x2))
- 南アフリカオープン: 13勝 (1956, 1960, 1965, 1966, 1967, 1968, 1969, 1972, 1975, 1976, 1977, 1979, 1981)
- 南アフリカPGA選手権: 1959, 1969, 1979, 1982
- Sponsored 5000: 1963
- Sun City Classic: 1979
- Trophee Boigny: 1980
- Transvaal Open: 1959, 1960, 1962, 1963, 1966
- Western Province Open: 1957, 1959, 1960, 1968, 1971, 1972
豪PGA
計18勝:[1]
- Ampol Tournament: 1956, 1958, 1961
- オーストラリアン・オープン: 最多7回の優勝 (1958, 1962, 1963, 1965, 1969, 1970, 1974)
- オーストラリアン・マスターズ: 1968, 1969
- 全豪プロ: 1957
- Coffs Harbor Tournament: 1957, 1958
- Dunlop International: 1970
- Gold Coast Classic: 1981
- ビクトリアン・オープン: 1959
その他
その他計25勝を挙げている:[1]
- Alfred Dunhill Challenge: 1995
- ブラジルオープン: 1972, 1974
- チリオープン: 1980
- Chrysler Cup: 1987
- Dunlop Tournament (England): 1956
- Egyptian Match Play: 1955
- Ibergolf Tournament (Spain): 1974
- JALオープン (日本): 1972
- Johnnie Walker Trophy (Spain): 1984
- La Manga Tournament (Spain): 1974
- NTL Challenge Cup (Canada): 1965
- Piccadilly World Match Play Championship: 5勝
- Skins Game: 1983
- Sprite Tournament: 1960
- Trophée Lancôme: 1975
- ワールドカップ: individual title in 1965 and 1977
- ワールドシリーズ・オブ・ゴルフ: 1965, 1968 and 1972 (PGAツアー非公認)
- 読売プロ (日本): 1961
チャンピオンズツアー (19)
太字はメジャー大会。
欧州・その他優勝 (15)
- 1986 Senior Skins Game (South Africa)
- 1987 Northville Invitational (United States), German PGA Team Championship
- 1988 全英シニアオープン (ヨーロピアンシニアツアー), Nissan Senior Skins (South Africa)
- 1990 全英シニアオープン (European Seniors Tour)
- 1991 Nissan Senior Skins (南アフリカ)
- 1993 Irish Senior Masters (European Seniors Tour)
- 1997 第一生命カップシニア (日本), 全英シニアオープン (ヨーロピアンシニアツアー), Shell Wentworth Senior Masters (ヨーロピアンシニアツアー),
- 2000 Senior Skins Game (U.S. – unofficial event)
- 2005 Nelson Mandela Invitational (Sunshine Tour – unofficial event)
- 2009 Liberty Mutual Legends of Golf – Demaret Division (with ボブ・チャールズ)
- 2010 Liberty Mutual Legends of Golf – Demaret Division (with ボブ・チャールズ)
全英シニアオープンは当時チャンピオンズツアーの大会に組めていない。
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競馬
1964年から競走馬の生産に取り組んでいる[2]。1974年、北ケープ州にある牧場を取得[3]。2003年時点では110頭の繁殖牝馬と6頭の種牡馬を所有していた[2]。2009年にはアメリカにおいてBreeders' Cup Sports and Racing Excellence Awardを受賞している[4]。
脚注
外部リンク
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