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ゲーリー・トマソン

アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手 ウィキペディアから

ゲーリー・トマソン
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ゲーリー・リー・トマソンGary Leah Thomasson, 1951年7月29日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手外野手)。

概要 基本情報, 国籍 ...
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来歴・人物

1972年から1980年までメジャーリーグでプレーし、ロサンゼルス・ドジャースをはじめ計4球団を渡り歩いた。1978年にはニューヨーク・ヤンキースで優勝も経験している。なお、この時のメンバーには後に巨人でもチームメートになるロイ・ホワイトがいた。

1981年読売ジャイアンツに入団。引退した王貞治の穴を埋める存在として期待された。しかしこの年、打率.261、本塁打20本を記録したものの、同時に三振132(当時の球団新記録)を喫し、大幅に期待を裏切り、「舶来扇風機」、「三振王」、「トマ損」、「害人」(外人のもじり)などと揶揄された。また、守備でも、同年の日本シリーズでは、失点にからむ失策を記録した。

2年目の1982年の出場は47試合にとどまり、さらに藤田元司監督とトラブルを起こしたため、同年限りで解雇。

引退後は父から不動産業を継いだ[1]

トマソンの名は、赤瀬川原平らが提唱した「不動産に付着して美しく保存されている無用物」という意味の「超芸術トマソン」という呼び名に転用された。

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評価

  • 藤田元司は、「いい成績は残せなかったけれど、実力はあったと思いますよ。まだまだ若かったし、もう少し日本流の野球をやるように努力すれば、よい結果を出せたと思います。地力は間違いなくあったと思います」とコメントしている[2]
  • 青田昇は、「『トマ損』って彼をバカにしたようなことを言うけど、ホンマ彼はいいところで打ってるで。ガンちゃん(藤田元司)の1年目の優勝なんて、トマソンのおかげだったと思うな。いいところでホームランしてるぜ」とコメントしている[3]

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...

記録

背番号

  • 12(1972年 - 1977年、1978年途中 - 同年終了、1981年 - 1982年)
  • 24(1978年 - 同年途中)
  • 9(1979年 - 1980年)

関連項目

出典

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外部リンク

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