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セルティック・フロスト(Celtic Frost)は、スイス出身のエクストリームメタル・バンド。
セルティック・フロスト | |
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フィンランド・ヘルシンキ公演(2006年) | |
基本情報 | |
出身地 | |
ジャンル | |
活動期間 | |
レーベル | |
共同作業者 | ヘルハマー |
公式サイト |
celticfrost |
メンバー | |
旧メンバー |
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「ブラックメタル」「デスメタル」「スラッシュメタル」等の派生ジャンルにおいて、多大な影響を与えたパイオニアとして知られる。
ブラックメタル、デスメタル等のエクストリーム・メタルに多大な影響を与えた[3]。特にブラックメタルのジャンル形成には「バソリー」「ヴェノム」と並んで大きな影響を及ぼしたといわれる。
バンド自身は「ヴェノム」「ジューダス・プリースト」「ブラック・サバス」等のヘヴィメタル・バンドや「バウハウス」「スージー・アンド・ザ・バンシーズ 」「クリスチャン・デス」といったゴシック・ロック・バンド[4]、「ディスチャージ」のようなパンク・バンドから影響を受けている[5]。
メイクに関しては「クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」のシングルジャケットから影響を受けたと語っている。
バンド名はセルティック・フロストで浸透してしまったが、トム・G・ウォリアー側では正確には「ケルティック・フロスト」(Celticはケルト人文化を指す)の発音で一貫している[6]。
1984年、前身バンド「Hellhammer」の解散後、トム・G・ウォリアーとマーティン・エリック・アインらを中心に「ケルティック・フロスト」を結成。デビューミニLPである『モービッド・テイルズ』はアンダーグラウンド・シーンで好評となる。ドイツとオーストリアで初のツアーを行う。
1985年、ファースト・アルバム『トゥ・メガ・セリオン』[7]をリリース。本作は彼らの代表作であり、様々なアーティストに影響を与えることとなる。
1988年、サード・アルバム『Cold Lake』でLAメタル(グラムメタル)風に音楽性を豹変させ、ファンを驚かせる。(後述 #アルバム『Cold Lake』について)
1993年、金銭トラブルや、バンド内の関係の悪化、レコード会社とのトラブルが続き、ついにバンドは解散へと追い込まれる。
2001年、再結成。
2006年、アルバム『モノシイスト』をリリース。同年、リリースに伴うツアーを開始する。ヨーロッパ、アメリカ合衆国、カナダのフェスでヘッドライナーを務める。特に、ヴァッケン・オープン・エアでは5万人の観客を前にライブを行った。
2007年、初訪日公演。
2008年、新グループ「トリプティコン」結成のためトムが脱退。再びバンドは解散[8]。
2017年、創設メンバー マーティン・エリック・アインが50歳で死去[9]。トムとマーティンの間にはバンド活動の条件が存在するため、事実上ケルティック・フロスト名義の存続は消滅した[10]。
先述の通り、バンドは数々のブラックメタル、デスメタル、スラッシュメタルバンドに影響を与えている。たとえば、シンフォニックメタル・バンド「セリオン」は彼らのファースト・アルバム『トゥ・メガ・セリオン』からバンド名をとっている[11]。セルティック・フロストの楽曲をカバーしているミュージシャンも多く存在する。例えば「ディム・ボルギル」「オビチュアリー」「ゴルゴロス」「セパルトゥラ」「ゴートホア」「ギャルハマー」等である。「ニルヴァーナ」のカート・コバーン、クリス・ノヴォセリック は彼らのファンだった。「デイヴ・グロール」や「アルター・ブリッジ」のリードギタリストであるマーク・トレモンティもことあるごとにセルティック・フロストから影響を受けたと語っている。デイヴ・グロールは自身のソロ・プロジェクトにトムをゲスト参加させてもいる。
1995年にリリースされたセルティック・フロストのトリビュートアルバムには「オーペス」「エンスレイヴド」「エンペラー」「メイヘム」「グレイブ」、カナダのデス/スラッシュ・バンド「スローター」等の著名バンドが参加している。
このような事実にもかかわらず、フロントマンのトム・フィッシャーは自分たちの与えた影響についてこのようなコメントをしている。「自分たちがどう影響を与えたかなんてことには関わらないようにしている。俺は一人のミュージシャンなんだ。そんなことに巻き込まれたくない。そんなの健康的じゃないだろ。ただ、良いアルバムを作っていたいんだ。俺はまだピンピンしてるし、やることが目の前に山ほどある。誰が影響力を持ってるとか、俺たちがどのような立場にいるのかとか、そういうことには煩わされたくない。そんなのはどうでもいいことだと思うよ[12]。」
1988年にリリースした3rdアルバム『Cold Lake』がグラムメタルに拠った内容だったため、従来ファンの間で拒絶反応が起きてしまった。これには後年トム・G・ウォリアーも失敗(黒歴史)と認め、アルバムの再発に際して敢えて選別から外し廃盤状態のままである。
これは、オリヴァー・アンベルク(ギター担当、元コロナー)が在籍した時代のサウンド変化であり、トニー・プラット(音楽エンジニア)がプロデュースを担当。世間では、アンベルクがグラムメタル化させた主犯とされ攻撃を受けた。本人は、その場のノリで意気投合した結果だと説明。リフ自体はヘヴィなサウンドであるため、ヘアメタル的ヴィジュアルの先入観で評価されなかったと主張している。
バンド内でのアンベルクは問題児だったようで、脱退後バンド側とは連絡を絶った状態であった。後年トムと再会した際に和解し、当時の不誠実を自省している[13]。
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