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クリスティアン・キヴ

ルーマニアのサッカー選手・監督 ウィキペディアから

クリスティアン・キヴ
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クリスティアン・エウジェン・キヴCristian Eugen Chivu1980年10月26日 - )は、ルーマニアレシツァ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDFMF。元ルーマニア代表

概要 クリスティアン・キヴ, 名前 ...
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経歴

選手時代

ルーマニアの南西部に位置するレシツァに生まれる。父親は地元のCSMレシツァでコーチを務めていた人でもあり、キヴ自身もCSMレシツァで競技生活をスタートさせる。自然が広がるレシツァで子供の頃はノルディックスキーも好んで親しんでいた[2]

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インテル時代 (2011年)

16歳で地元のクラブCSMレシツァでデビューした。ルーマニアのビッグクラブであるウニヴェルシタテア・クライオヴァを経て18歳6ヶ月でアヤックスへ移籍した。アヤックスでは後にインテルでチームメイトとなるズラタン・イブラヒモビッチマクスウェルヴェスレイ・スナイデルといった選手達と共にプレーする。その後2003年に移籍金1800万ユーロでイタリアASローマへ移籍。[3]入団直後からフリーキックなどで得点を重ね、目覚しい活躍を見せるもその後スランプが続いた。代表ではEURO2000での活躍が評価され「マルディーニの再来」との評価を得た。

2007年インテル・ミラノをはじめレアル・マドリードFCバルセロナなど複数のクラブが獲得に興味を示したが、7月1日にインテルへの移籍が決定した。インテルはキヴの獲得のために1300万ユーロの移籍金とマルコ・アンドレオッリの共同保有権をローマに譲渡した。[4]

インテルでは得意とするフリーキックは同じく名手のヴェスレイ・スナイデルに譲ったため得点は少ないが、センターバックや左サイドバック・センターハーフをこなし、多くの試合に出場した。

2010年1月6日ACキエーヴォ・ヴェローナ戦でキエーヴォのキャプテンセルジオ・ペリッシエと接触し、頭蓋骨を負傷。ヴェローナ市内で緊急手術を行った[3]。復帰後はヘッドギアを着用している。2011年にはASバーリ戦でマルコ・ロッシを殴ったとして4試合の出場停止を科された[5]

2011年5月21日、インテルの公式サイトを通じてルーマニア代表からの引退を表明している[6]

2014年3月31日、インテルと契約解除し現役を引退した[7]

指導者時代

2018年、インテルのU-14チーム監督に就任した。

2019年からはU-17、2020年からはU-18を指揮し、2021年からはプリマヴェーラの監督に就任した。指揮官に就任して1年目となる2021-22シーズンにはチームにスクデットをもたらした[8]2024年6月7日、プリマヴェーラの監督退任を発表[8]

2025年2月、セリエAのパルマ監督に途中就任し、初のトップチーム指揮となる[9]

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エピソード

  • ローマ時代の愛称は「スワロフスキー」[10]。キヴの左足でのプレーを世界的クリスタルアクセサリーメーカーであるスワロフスキーに喩えたものである。
  • 父親のことを今でも慕い尊敬しているが、キヴが18歳のときに病に冒され死去[2]
  • インテル時代には左サイドバックで起用されることが多く、3冠を達成した2009-10シーズンも左サイドバックとして起用されていたが、本人はセンターバックが本職であると考えている[12]
  • 「古典的なDFが淘汰されたのは古典的なFWが淘汰されたから」という持論を語っており、現代の守備に最も必要なのは先手をいかに多く打てるか、敵の攻め上がりに対していかに予測し即座に対処できるか、という考え方の必要性を説いている[11]。また現代のFWの代表格にして(キヴの現代FWの定義:敏捷でオフ・ザ・ボールの動きを多用する)自身が最も苦手とした選手にアンドリー・シェフチェンコの名を挙げている[11]
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所属クラブ

獲得タイトル

クラブ

アヤックス
ローマ
インテル

個人

脚注

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外部リンク

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