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オウム真理教が制作した音楽に関する解説記事 ウィキペディアから
オウム真理教の音楽(オウムしんりきょうのおんがく)は、オウム真理教が制作した音楽である。クラシック系からポップス、選挙宣伝用に作曲され、一連のオウム事件のテレビでの報道番組等で連日放送された『尊師マーチ』に代表される「オウムソング」と呼ばれるものなど、多岐にわたる。大半の楽曲は麻原彰晃自身による作詞・作曲であるが、弟子が麻原の指示で作詞・作曲した曲も複数存在する。
教祖・麻原彰晃自身が音楽が好きであったことや、石井紳一郎等の音楽教育を受けた幹部が居たこともあり、オウム真理教は幅広い音楽活動を行っていた。麻原が作詞作曲したとされる多数の宗教曲がテープなどに録音され、信者や一般人に配布ないしは販売されたが教団の内部でのみ使われた曲も多い。そして、教団は音楽劇「死と転生」の公演を日本国外においても行っていたほか、1992年には「ロシアオウム真理教シンフォニー・オーケストラ キーレーン」を設立している。
また、麻原らが逮捕されて以降の1998年から1999年にかけて、在家信者によって構成された教団公認のロックバンド「完全解脱」が活動していた。計3回開催されたコンサートでは麻原の曲をロックにアレンジして演奏したが、歌詞に「オウム」や「尊師」といった語が含まれるものは選曲されなかった[1][2]。
オウムの音楽は聞いているだけで修行になる他、医療効果まであるとされていた。また、「アストラル音楽を神の声であると科学的に立証する」としていた土谷正実は、オウム入信を反対する親から寺に監禁されていた際、抗議に来た信者がスピーカーから流すオウムの音楽を聴くと人が変わったようになり、親の言うことを聞かなくなったという[3][4]。
度々クラッキングの題材にもなった。1995年6月26日には電波ジャックによって営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座駅と永田町駅の構内放送からオウムソングが5~7分間流れる事件、1997年には農水省のウェブサイトからオウムソングが流れる事件(農水省オウムソング事件)が発生している[5]。
これらの曲目はロシアの教団オーケストラ、キーレーンによって演奏され、毎年のように来日公演が全国で催された。
主にシンセサイザーで構成されたインストゥルメンタルのヒーリング・ミュージックとなっている。純粋な癒しを主眼に置いて製作されており、教団が音楽が心に与える効果を深く信じ重視していたことをうかがわせる。最近まで一部の曲をAlephから購入することが可能であったが、2015年8月の公式サイトリニューアルにより、アストラル音楽の項目はアレフ公式サイトから消えている。現在も動画投稿サイトでこの音楽を使用したアレフのアニメを閲覧することが可能。
オウム真理教は対外宣伝や教団信者の修行・教学の為に非常に多数の「宗教歌」を製作していたことも有名で、オウムソングとして知られている。真理党が出馬した当時選挙活動時に使用されたり、オウム真理教放送で使用されたこと、また多くのマスメディアでも取り上げられたことで有名になった。
これらの曲は大部分は麻原彰晃自身が歌っており(他に青山吉伸、村井秀夫ら幹部が歌ったものも多数存在する)、その大半が麻原彰晃自身による作詞作曲であるとされている。教団による楽譜集「シンセ音楽を楽しもう」に収録された26曲は「尊師26曲集」として知られている。
麻原は自ら音痴と認めた上で、「一般的な旋律とは異なる神々の使者として意識的に現れた音や声を表現することのほうが重要であり、敢えて音程を外して歌っている[8]」と説明している。
オウムソングを代表する歌は、「尊師マーチ」(かつての「麻原彰晃マーチ」を改題し歌詞を変更したもの)や「真理教、魔を祓う尊師の歌」、「エンマの数え歌」、「ガネーシャ体操」(歌詞が異なる「修行者の歌」、熊本県・波野村(現在の阿蘇市波野地区)の「オウム真理教進出反対」に抗議する歌[注 1]、リズムを変えた「極厳修行者音頭」も存在する)などがある。 特に「尊師マーチ」・「真理教、魔を祓う尊師の歌」は、その軽快かつ覚えやすいメロディーやハイテンションなリズム故にオウムソングの中では知名度が高く、教団或いは麻原自身を象徴する一曲として、オウム関連の報道特番やドキュメンタリー番組で何度も使用されている。
内容は、ほとんどが教団の教義を記したり麻原を称えたりする内容で、マスコミや一般向けの曲から、中には信者以外極秘の過激な歌詞の歌も存在する。音楽は、ほとんど電子楽器で演奏されている。中には麻原によるマントラが所々流れる楽曲もある。信者対象の人気投票では1位の「覚者」に続いて「輪廻転生」「黎明」「さまよえるバルドー」「賛歌」の順であった[9]。
作曲者のYuki Kobayashi(現在、ひかりの輪に在籍、徳島文理大学 短期大学部 音楽科ピアノ専攻)によれば、音楽班、のちの究聖音楽院の音楽活動は、ヴァジラヤーナ活動が始まって以降は、多くはカムフラージュやイメージ作りに使われていた部分があった。オウム26曲集はロジックというソフトを使って作った。当時はATARIという音楽パソコンがあった。26曲集は出版後も多くのミスが発見された。この映像(三枝成彰による楽曲の解説)の中には、心拍数という部分があるが、当時全くそれは意識しておらず、ただ麻原が作曲したメロディーを編曲する、あるいは麻原に「こういう曲」と言われて作曲編曲するという形だった。テンポも、特に意図して決めたりせず、麻原のチェックで指摘されなければ編曲者の感覚的なものが優先した。編曲者は数名いた。小林は、後期には軍歌調の曲を作曲するように命令され、日本の軍歌大全集を買って参考にし、『戦え真理のために』を作曲したりした。小林によればロシアにオーケストラ(キーレーン)も持っていたが、オーディションには多くの演奏家が集まり、質の高いメンバーだった。当時としては、ロシアでは破格な給料で雇っていた。ハープ2台、ティンパニが約10台ほどあり、楽器の購入資金も莫大であった[10]。
第39回衆議院議員総選挙に出馬した際の真理党のテーマソング。麻原の名前を連呼するものが多く、江川紹子は「自画自賛の歌」と評している[11]。
死と転生は、1991年3月から公演が始まった、仏教における死と転生の中間状態(バルド)のプロセスをダンスとオウムの音楽で表現する音楽劇。主演は後に松本サリン事件に関与することとなる富田隆[18]。海外でも公演を行い、特にロシアでは好評で超満員となった[19]。
オウム系団体のひかりの輪も瞑想用音楽を作曲している[26]。
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