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競走馬 ウィキペディアから
エルバジェ(Herbager、1956年 - 1976年)とは、フランスのサラブレッドの競走馬である。1959年のジョッケクルブ賞(フランスダービー)に優勝し、のちに種牡馬としても成功した。
2歳時は2戦して1勝、仏グランクリテリウムにも出走したが5着に敗れている。1959年の3歳シーズンはグレフュール賞から始動して優勝すると、翌戦のオカール賞でも勝ち、その勢いからジョッケクルブ賞では1番人気に推され、これを制覇して同年のフランス3歳馬の頂点に立った。
同年7月には古馬混合戦に出走するようになり、サンクルー大賞ではイギリスからの遠征馬を破って優勝した。続くプランスドランジェ賞でも勝って連勝記録を伸ばし、凱旋門賞に挑戦した。しかし競走中に故障が発生、10着に敗れると、それを最後に競走生活を引退した。タイムフォーム誌の発表するフリーハンデキャップにおいて、エルバジェは136ポンドと評価された。
1960年よりフランスで種牡馬活動を始めた。その後の1964年、エルバジェはアメリカ合衆国の生産者であるブル・ハンコックに70万ドルで売却され、ケンタッキー州のクレイボーンファームへと移された。エルバジェはフランス・アメリカのどちらでもステークス競走勝ち馬を輩出しており、特にアメリカ時代には生涯で64頭のステークス競走勝ち馬を出している。
フランス時代の代表産駒に、グレイドーン(Grey Dawn 1962年生、牡馬)、シーホーク(Sea Hawk 1963年生、牡馬)がいる。両者とも2歳時から活躍し、グレイドーンはモルニ賞など、シーホークはサンクルー大賞などの勝鞍がある。種牡馬としてはグレイドーンがアメリカで、シーホークが日本で活動し、ともに成功した。
デルビーイタリアーノなどに優勝したアッピアーニ(Appiani II 1963年生、牡馬)は種牡馬として、1975年の凱旋門賞を制したスターアピール(Star Appeal 1970生、牡馬)を出して成功している。
アメリカでは1977年の最優秀3歳牝馬アワミムス(Our Mims 1974年生、牝馬)や、トラヴァーズステークスなどに優勝したラウド(Loud 1967年生、牡馬)などがいる。ビッグスプルーシュ(Big Spruce 1969年生、牡馬)は種牡馬として成功し、エルバジェの系統樹を伸ばしていった。
1976年、エルバジェは20歳のときにクレイボーンファームで死亡した。遺骸はマーチモントファームの墓地区画に葬られている。
※当時はグループ制未導入
エルバジェの血統(ダークロナルド系 / Firdaussi 母内3x3=25.00%、 Phalaris 4x5x5=12.50%) | (血統表の出典) | |||
父 Vandale 1943 鹿毛 フランス |
父の父 Plassy1932 鹿毛 イギリス |
Bosworth | Son-in-law | |
Serenissima | ||||
Pladda | Phalaris | |||
Rothesay Bay | ||||
父の母 Vanille1929 鹿毛 フランス |
La Farina | Sans Souci | ||
Malatesta | ||||
Vaya | Beppo | |||
Waterhen | ||||
母 Flagette 1951 栗毛 フランス |
Escamillo 1939 栗毛 フランス |
Firdaussi | Pharos | |
Brownhylda | ||||
Estoril | Solario | |||
Appleby | ||||
母の母 Fidgette1939 栗毛 フランス |
Firdaussi | Pharos | ||
Brownhylda | ||||
Boxeuse | Teddy | |||
Spicebox F-No.16-c |
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