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エリック・ロビン・ベル(Eric Robin Bell, 1947年9月3日 - 、北アイルランド・ベルファスト出身[1])は、北アイルランドのロックギタリスト。1970年代から1980年代にかけて人気を博したロック・バンド、シン・リジィの創設メンバーである。
ベルファスト周辺のローカル・グループで活動。1966年の9月、10月の2ヶ月間のみ、ヴァン・モリソン率いるゼムのメンバーだったこともある。1969年にフィル・ライノット、ブライアン・ダウニーとシン・リジィを結成。
シン・リジィのリード・ギタリストとして、シン・リジィ初期のアルバム3枚(『シン・リジィ』(Thin Lizzy)、『ブルー・オーファン』(Shades of a Blue Orphanage)、『西洋無頼』(Vagabonds of the Western World))および、ヒット・シングル「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」(Whiskey in the Jar) を残した。
しかし、シン・リジィの活動は上昇気流に乗っていたが、様々なプレッシャー(レコーディング、ツアー、ロック的なライフスタイル)が徐々にベルの精神を蝕んでいった。
1973年の大晦日のコンサートの最中、空中にギターを放り投げ、アンプを観客席に投げ込んで、嵐のようにステージを去った。彼は後に脱退に関して「未練はまったくなかった。自分は病気のため脱退せざるを得なかった」と述べた。彼の後任にはゲイリー・ムーアが抜擢された。1970年代中期には、ジミ・ヘンドリックスの元同僚ノエル・レディングとのプロジェクトで2枚のアルバムを発表した[1]。
1980年、ジミ・ヘンドリックスに捧げた「ソング・フォー・ジミ」(Song for Jimi) のレコーディングにシン・リジィとともに参加。これは2002年2月にリリースされたシン・リジィのコンピレーション・アルバム『Vagabonds, Kings, Warriors, Angels』に収録された。
1983年にはシン・リジィのファイナル・ツアーに参加[1]。また、この頃には「メインスクィーズ」というブルース・ロック・バンドでも活動し、同バンドは1984年、ボ・ディドリーのヨーロッパ・ツアーでバックを務めた[1]。1990年代後半より、彼のグループ「エリック・ベル・バンド」での活動が中心となる[1]。
2005年、ゲイリー・ムーアを中心にダブリンのポイント・シアターで開催されたフィル・ライノット追悼コンサート The Boy Is Back in Town に出演、「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」を演奏した。この模様は One Night in Dublin: A Tribute to Phil Lynott というタイトルでDVDとしてリリースされた。
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