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ドイツのサッカー選手 ウィキペディアから
アンドレ・シュールレ(André Schürrle、1990年11月6日 - )は、ドイツ・ルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン出身の元サッカー選手。元ドイツ代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。
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FCスパルタク・モスクワ時代(2019年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
アンドレ・ホアスト・シュールレ André Horst Schürrle | |||||
ラテン文字 | André Schürrle | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1990年11月6日(33歳) | |||||
出身地 | ルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン | |||||
身長 | 184cm[1] | |||||
体重 | 74kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW (WG) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-2006 | ルートヴィヒスハーフェン | |||||
2006–2009 | 1.FSVマインツ05 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009-2011 | 1.FSVマインツ05 | 66 | (20) | |||
2011-2013 | バイエル・レバークーゼン | 65 | (18) | |||
2013-2015 | チェルシーFC | 44 | (11) | |||
2015-2016 | VfLヴォルフスブルク | 43 | (10) | |||
2016-2020 | ボルシア・ドルトムント | 33 | (3) | |||
2018-2019 | → フラムFC (loan) | 24 | (6) | |||
2019-2020 | → FCスパルタク・モスクワ (loan) | 13 | (1) | |||
通算 | 288 | (69) | ||||
代表歴 | ||||||
2008-09 | ドイツ U-19 | 11 | (4) | |||
2009 | ドイツ U-20 | 1 | (1) | |||
2009-2010 | ドイツ U-21 | 4 | (3) | |||
2010-2017 | ドイツ | 57 | (22) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年7月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
地元のルートヴィヒスハーフェナーSCでサッカーを始め、2006年に1.FSVマインツ05のユースチームに移籍。2009年8月7日のバイエル・レバークーゼン戦でプロデビューを果たし、9月11日のVfLボーフム戦で初ゴールを記録。一年目の2009-10シーズンから33試合に出場し5ゴールを挙げた。
2010年9月、翌シーズンからレバークーゼンでプレーすることが発表される。マインツでの2年目にして最後のシーズンとなった2010-11シーズンは34試合に出場し、クラブ記録となる15ゴールを決めた。
2011年夏にレバークーゼンに移り5年契約を結んだ。
2013年6月13日にチェルシーFCに移籍が決定した[2]。厳しいレギュラー争いの中なかなかレギュラー定着とまではいかないがコンスタントに出場を果たし、2014年3月1日のプレミアリーグ第28節フラムFC戦ではハットトリックを達成、勝利に貢献している。2015年2月に出場機会を求めてヴォルフスブルクに移籍したシュールレだが、チェルシーで過ごした日々について「僕のチェルシー行きは間違いなく失敗ではないよ。最初のシーズンはチャンスを生かして、貴重なゴールを決めたからね」とコメントした[3]。また2014-15シーズンにチェルシーはプレミアリーグを優勝した事にモウリーニョ監督からシュールレにも優勝メダルをと、お祝いのメールを送っていたという[4]。
2015年2月2日、 VfLヴォルフスブルクに完全移籍することを発表し、約1年半ぶりのブンデスリーガ復帰となった[5]。契約期間は2019年までとなる。イギリス紙『デイリーメール』は推定移籍金2400万ポンド(約42億3000万円)が支払われたと報道している。
2016年7月22日、 ボルシア・ドルトムントに完全移籍することを発表した[6]。2021年6月までの5年契約を締結した。
2018年7月25日、プレミアリーグ・フラムFCへ2シーズンのレンタル移籍が発表された[7]。久々のプレミアリーグで24試合6ゴールを決めたものの、チームは19位に終わり、1年でEFLチャンピオンシップ (2部リーグ) に降格。
2019年7月31日、FCスパルタク・モスクワと1年間のローン移籍に合意した[8]。このシーズンには13試合出場し1得点を挙げたが、買取オプションは行使されずドルトムントに返却された。2020年7月15日にドルトムントとの2021年までの契約を両者合意の上で解消した[9]。 2日後の7月17日、自身のSNS上にて現役引退を表明した[10]。
2010年11月のスウェーデンとの親善試合でドイツ代表として初出場を果たした[1]。尚、同じくこの試合で初出場を果たしたマリオ・ゲッツェと共に東西ドイツ統合後に生まれた初の同国A代表選手となった。2011年5月29日のウルグアイ戦で代表初得点を挙げると[1]、続く6月7日のUEFA EURO 2012予選のアゼルバイジャン戦、8月10日のブラジル戦、9月2日のオーストリア戦でも得点を挙げ、4試合連続ゴールを記録した。
2012年6月にはUEFA EURO 2012のメンバーに選ばれ、準々決勝のギリシャ戦を含む2試合に出場した[11]。
2013年10月15日のワールドカップ予選、スウェーデン戦でハットトリックを達成した。
2014 FIFAワールドカップではグループリーグのガーナ戦を除く6試合に途中出場。決勝トーナメント1回戦のアルジェリア戦では延長前半に先制点を挙げ、準決勝のブラジル戦では後半に2得点を挙げた。7-1という歴史的大勝を収めた一戦について、「僕がピッチに入った時、すでに5-0だった。ブラジルの選手は疲れて、『もうプレーしたくない』という状態になっていたよ」と振り返った。ブラジルにはオスカルとウィリアン、ラミレスとチームメートが多数在籍していることもあり、「僕は仲間を抱きしめる必要があった」とコメント。「彼らは非常に悲しみ泣いていたよ。彼らには、新シーズンにチェルシーで僕達が何か大きなことをやると伝えたんだ。それでも、ああいった時は彼らは何も聞きたくなかった」と、仲間の心情を慮った[12]。決勝戦では延長後半にマリオ・ゲッツェのゴールをアシストするなど、大会中には3つのアシストを決め[13]、ドイツの東西統一後初となる優勝に貢献した。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | UEFA | その他 | 通算 | ||||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
マインツ | 2009-10 | 33 | 5 | 1 | 0 | — | — | — | 34 | 5 | |||
2010-11 | 33 | 15 | 1 | 0 | — | — | — | 34 | 15 | ||||
通算 | 66 | 20 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 68 | 20 | |
レバークーゼン | 2011-12 | 31 | 7 | 1 | 1 | — | 8 | 1 | — | 40 | 9 | ||
2012-13 | 34 | 11 | 3 | 1 | — | 6 | 2 | — | 43 | 14 | |||
通算 | 65 | 18 | 4 | 2 | 0 | 0 | 14 | 3 | 0 | 0 | 83 | 23 | |
チェルシー | 2013-14 | 30 | 8 | 1 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | 1 | 0 | 43 | 9 |
2014-15 | 14 | 3 | 1 | 0 | 3 | 1 | 4 | 1 | — | 22 | 5 | ||
通算 | 44 | 11 | 2 | 0 | 4 | 1 | 14 | 2 | 1 | 0 | 65 | 14 | |
ヴォルフスブルク | 2014-15 | 14 | 1 | 4 | 0 | — | 4 | 0 | — | 22 | 1 | ||
2015-16 | 29 | 9 | 1 | 1 | — | 10 | 2 | 1 | 0 | 41 | 12 | ||
通算 | 43 | 10 | 5 | 1 | 0 | 0 | 14 | 2 | 1 | 0 | 63 | 13 | |
ボルシア・ドルトムント | 2016-17 | 15 | 2 | 3 | 2 | — | 6 | 2 | 1 | 0 | 25 | 4 | |
2017-18 | 18 | 1 | 3 | 0 | — | 5 | 2 | 0 | 0 | 26 | 3 | ||
通算 | 33 | 3 | 6 | 2 | — | 11 | 3 | 1 | 0 | 51 | 8 | ||
フラム (loan) | 2018-19 | 24 | 6 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 25 | 6 | ||
スパルタク・モスクワ (loan) | 2019-20 | 13 | 1 | 1 | 0 | — | 4 | 1 | — | 18 | 2 | ||
総通算 | 288 | 69 | 20 | 5 | 5 | 1 | 57 | 11 | 3 | 0 | 373 | 86 |
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
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1 | 2011年5月29日 | ジンスハイム、ライン・ネッカー・アレーナ | ウルグアイ | 2–0 | 2–1 | 親善試合 |
2 | 2011年6月7日 | バクー、トフィク・バフラモフ・スタジアム | アゼルバイジャン | 1–3 | 1–3 | UEFA EURO 2012予選 |
3 | 2011年8月10日 | シュトゥットガルト、メルセデス・ベンツ・アレーナ | ブラジル | 3–1 | 3–2 | 親善試合 |
4 | 2011年9月2日 | ゲルゼンキルヒェン、フェルティンス・アレーナ | オーストリア | 5–2 | 6–2 | UEFA EURO 2012予選 |
5 | 2011年10月11日 | デュッセルドルフ、エスプリ・アレーナ | ベルギー | 2–0 | 3–1 | |
6 | 2012年5月26日 | バーゼル、ザンクト・ヤコブ・パルク | スイス | 3–2 | 5–3 | 親善試合 |
7 | 2012年5月31日 | ライプツィヒ、ツェントラール・シュタディオン | イスラエル | 2–0 | 2–0 | |
8 | 2013年10月11日 | ケルン、ラインエネルギーシュタディオン | アイルランド | 2–0 | 3–0 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
9 | 2013年10月15日 | ソルナ、フレンズ・アレーナ | スウェーデン | 2–3 | 3–5 | |
10 | 2–4 | |||||
11 | 3–5 | |||||
12 | 2014年6月1日 | メンヒェングラートバッハ、シュタディオン・イム・ボルシア・パルク | カメルーン | 2–1 | 2–2 | 親善試合 |
13 | 2014年6月6日 | マインツ、コファス・アレーナ | アルメニア | 1–0 | 6–1 | |
14 | 2014年6月30日 | ポルト・アレグレ、エスタジオ・ベイラ=リオ | アルジェリア | 1–0 | 2–1 | 2014 FIFAワールドカップ |
15 | 2014年7月8日 | ベロオリゾンテ、エスタジオ・ゴベルナドール・マガリャンイス・ピント | ブラジル | 0–6 | 1–7 | |
16 | 0–7 | |||||
17 | 2014年9月3日 | デュッセルドルフ、エスプリ・アレーナ | アルゼンチン | 1–4 | 1–4 | 親善試合 |
18 | 2015年6月13日 | ファロ、エスタディオ・アルガルヴェ | ジブラルタル | 0–1 | 0–7 | UEFA EURO 2016予選 |
19 | 0–5 | |||||
20 | 0–6 | |||||
21 | 2017年3月27日 | バクー、トフィク・バフラモフ・スタジアム | アゼルバイジャン | 0–1 | 1–4 | 2018 FIFAワールドカップ予選 |
22 | 1–4 | |||||
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