アルバート・リー

ウィキペディアから

アルバート・リー

アルバート・リー(Albert Lee、1943年12月21日-)は、イングランド出身のギタリストカントリーR&Bロック等の分野で活動。卓越したテクニックと幅広い音楽性から「Guitar player's guitar player」と評された[1]

概要 アルバート・リー, 基本情報 ...
アルバート・リー
Thumb
アルバート・リー(2005年)
基本情報
別名 Guitar Player's Guitar Player
生誕 (1943-12-21) 1943年12月21日(81歳)
出身地 イングランド
ジャンル カントリー・ミュージック
R&B
ロック
職業 ギタリスト歌手
担当楽器 ギターピアノ
活動期間 1959年-
レーベル A&Mレコード
MCAレコード
シュガーヒル・レコード
共同作業者 クリス・ファーロウ
ヘッズ・ハンズ&フィート
エミルー・ハリス
エリック・クラプトン
ホーガンズ・ヒーローズ
ビル・ワイマン
公式サイト Albertlee.co.uk
著名使用楽器
フェンダー・テレキャスター
アーニー・ボール/ミュージックマン シグネイチャー・モデル
ギブソン・J-200
閉じる

来歴

父親はピアノアコーディオンを弾いた。彼も7歳でピアノを弾き始めるが、その後バディ・ホリーに影響を受けてギターに転向し、16歳でプロとしての活動を開始。

1960年代、ニール・クリスチャンのバック・バンドにジミー・ペイジの後任として加入。1964年、クリス・ファーロウ[注釈 1]が前年に結成したクリス・ファーロウ&ザ・サンダーバーズ[2]に加入して、デイヴ・グリーンスレイドカール・パーマー[3][注釈 2]と活動して名を高めた。

1970年、ヘッズ・ハンズ&フィートというカントリー・ロック・バンドを結成。またリッチー・ブラックモアビッグ・ジム・サリヴァンイアン・ペイス等も名を連ねていた[4]グリーン・ブルフロッグ[5]という覆面セッション・バンドに参加し、1971年に同名のアルバム[6]を発表した。

1974年、ヘッズ・ハンズ&フィート解散後、アメリカ合衆国カリフォルニア州に渡る。同地でもセッション・ギタリストとして高く評価され、ジョー・コッカーエミルー・ハリス等と共演。また、ソロ・アーティストとしてA&Mレコードとの契約を得る。

1979年エリック・クラプトンのバック・バンドに加入。同年、A&Mから初のソロ・アルバム『ハイディング』を発表。同作収録曲「カントリー・ボーイ」は、1984年にリッキー・スキャッグスにカバーされ、翌年にはリッキーのシングル・バージョンがビルボード誌のカントリー・チャートで1位となった。クラプトンのライブ・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト〜エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館〜』でも、『ハイディング』収録曲「セッティング・ミー・アップ」(ダイアー・ストレイツのカバー)でアルバートのリード・ボーカルが聴ける。

1983年エヴァリー・ブラザーズの再結成コンサートでバックを務める。

1990年代以降は、ホーガンズ・ヒーローズや、ビル・ワイマン率いるリズム・キングスで活動。

2002年ジョージ・ハリスンの追悼コンサート「コンサート・フォー・ジョージ」に出演。

ディスコグラフィ

ソロ・アルバム

※はAlbert Lee & Hogan Heroes名義。

  • Hiding(1979年)
  • Albert Lee(1982年)
  • Speechless(1987年)
  • Gagged But Not Bound(1988年)
  • In Full Flight: Live At Montreux(1994年、※)
  • Tear It Up(2002年、※)
  • Heartbreak Hill(2003年)
  • Live In Paris(2004年、※)
  • Road Runner(2006年)
  • In Between The Cracks(2007年、※)
  • Live At The New Morning(2007年、※)
  • Like This(2008年、※)

ヘッズ・ハンズ&フィート

  • Heads Hands & Feet(1971年)
  • Tracks(1972年)
  • Old Soldiers Never Die(1973年)

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.