アマナキ・レレィ・マフィAmanaki Lelei Mafi1990年1月11日 - )は、ジャパンラグビーリーグワン横浜キヤノンイーグルスに所属するラグビー選手。

概要 生年月日, 出身地 ...
アマナキ・レレィ・マフィ
生年月日 (1990-01-11) 1990年1月11日(34歳)
出身地 トンガの旗 トンガ ハムラ村
身長 1.89 m (6 ft 2+12 in)
体重 112 kg (17 st 9 lb)
大学 花園大学
愛称 NAKI、フィジカルモンスター
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション ナンバーエイト
在籍チーム 横浜キヤノンイーグルス
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
2010-2014 花園大学 ()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
2014-2021 日本の旗NTTコム 53 (90)
2016 イングランドの旗バース 7 (20)
2021- 日本の旗横浜E ()
更新日:  2021年3月22日
スーパーラグビー
チーム 出場 (得点)
2017-2018 オーストラリアの旗レベルズ 31 (35)
2019 日本の旗サンウルブズ 3 (0)
更新日:  2019年5月25日
代表
チーム 出場 (得点)
2009  U20トンガ 2 (0)
2014-  日本 29 (45)
更新日:  2021年7月3日
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プロフィール

  • トンガのハムラ村出身で、16人兄弟の15人目として出生[1][2][3][4]
  • 身長は189cmで、体重は112kg。
  • 現在のポジションはナンバーエイト(No8)
  • トンガでの学生時代には、体重が90kgに満たなかった高校2年生までウィング(WTB)のポジションに就いていた。高校3年生からNo8に転向[3]
  • かつては、U18・U19・U20トンガ代表に選出[3]。日本国内での居住・プレー歴が連続3年以上(後述)で、U20トンガ代表への選出から3年以上経過した2014年から、トンガの国籍を有したまま日本代表に選ばれている[2]。日本代表としてのキャップ数は27(2019年10月現在)。
  • ニックネームはNAKI(ナキ)で(トンガ人の場合は、名前の下の部分をニックネームとする場合が多い。よって、日本代表で、花園大学時代のチームメイトであったリコーブラックラムズアマナキ・ロトアヘアのニックネームもNAKI(ナキ)である)、口癖は「練習も試合も100%」[1]。NTTのチームメイトからは、「フィジカルモンスター」とも呼ばれている[3]
  • マット・マフィは甥っ子[5]
  • 嫌いな食べ物はあんこ[4]

略歴

5歳でラグビーを始めると、日本への留学生を多数輩出する高校トンガ・カレッジへ進む[6]

2009年に日本で開催されたU20世界ラグビー選手権にトンガ代表として参加した際に関係者の目に留まり、2010年に京都の花園大学からの勧誘を受け進学[2][6]関西学生ラグビーBリーグ(2部)に属するラグビー部でプレー[1]。同級生には、マフィの幼馴染であり、ラグビー日本代表であるアマナキ・ロトアヘアがいる。マフィの支援者からは、月3万円の生活費が出されていたが、その多くを実家に送り、その残りで生活をする苦しい生活を送っていたという。2012年に大学3年生で出場した「関西学生南北対抗戦」での活躍[3] などが認められて、大学卒業後の2014年NTTコミュニケーションズシャイニングアークス(現・NTTコミュニケーションズ シャイニングアークス東京ベイ浦安)へ加入した[7]

2014年8月23日ジャパンラグビートップリーグ・ファーストステージ第1節の対宗像サニックスブルース戦で、途中出場ながら同リーグ公式戦へのデビューを果たした[8]。後に、トンガ代表入りを打診されたが辞退。同年11月の日本代表ヨーロッパ遠征で初めてメンバーに選ばれる[2] と、同月13日ブカレストで開かれたリポビタンDツアー2014ルーマニア戦で、日本代表のキャップを初めて獲得した[9]。しかし、帰国後(12月7日)のトップリーグセカンドステージ第2節・対トヨタ自動車ヴェルブリッツ戦で左股関節を脱臼骨折[10]。全治1年6ヶ月の重症と診断された[6]

2015年には、大学時代から交際していた京都府出身の女性[11]桑原征平の実母の弟の娘の娘)と5月15日に結婚した。8月29日には、東京ガスラグビー部との練習試合で実戦に復帰[12]9月からイングランドで開催のラグビーワールドカップ2015には、日本代表として出場した[13]。日本代表は3勝1敗ながら1次リーグ・プールBで敗退したが、マフィは南アフリカとの初戦に後半の途中から出場。試合終了間際にマフィからのパスを受けたカーン・ヘスケストライを決めたことによって、チームは逆転勝利を収めた[14]。マフィ自身も、先発に起用されたスコットランドとの第2戦[15] および、アメリカとの最終戦[16] でそれぞれ1トライを記録している。さらに、ワールドカップの終了後に開幕した2015 - 2016トップリーグでは、NTTコムのNo8として、2015年内の最終戦までに7試合へ出場。開幕戦からの3試合連続を含む5トライを記録したほか、2試合連続でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[17]

2015年12月29日には、イングランドプレミアシップに加盟するバースが、マフィと契約したことを発表した。NTTコムに所属したまま、プレミアシップの2015 - 2016シーズンが終了する2016年4月までの4ヶ月間限定移籍で、2015 - 2016トップリーグが終了した同年1月下旬からバースに合流[18]。同年2月13日の対ウースター戦で、No8としてプレミアシップデビューを果たした[19]。移籍2戦目の対ワスプス戦(同月20日)では、フル出場でプレミアシップ初トライを記録している[20]

2016年には、5月1日付でバース・ラグビーとの契約を満了[21]。NTTコムへ復帰すると、2016 - 2017シーズンから、トップリーグでのプレーを再開している。また、9月には妻が第一子(長男)を出産した。

2017年からは、NTTコムに所属したまま、トップリーグのオフシーズンにスーパーラグビーへ参戦。2018年シーズンまでレベルズの主力選手として活躍した後に、NTTコムへの一時復帰を経て、2019年シーズンの途中からサンウルブズへ加入していた[22]。レベルズ所属中の2018年7月には、ニュージーランドへの遠征中にチームメイトへの暴行容疑で現地の警察当局へ身柄を一時拘束された[23] が、後に釈放されたうえでNTTコムへ復帰。復帰後は、自宅謹慎などを経て、11月24日のトップリーグ・対サントリーサンゴリアス戦から試合への出場を再開した[24]

2019年には、日本国内で開催されるラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出[25]。開幕直前の9月7日にリポビタンDチャレンジカップ2019 ・対南アフリカ代表戦で右肩を痛めた[26] 影響で予選リーグ(プールA)・開幕戦(同月20日の対ロシア代表戦)の登録メンバーから外れた[27] ほか、スタメンに起用された第2戦(対アイルランド代表戦)で肋軟骨を痛めて途中交代を余儀なくされた[28] ため、プールAでは全4試合中2試合の出場にとどまった。しかし、日本代表が史上初めて臨んだ決勝トーナメントでは、10月20日の準々決勝(対南アフリカ戦)に一時出場。代表チームは準々決勝で敗退したものの、同月23日には、京都市に縁のあるチームメイト(田中史朗北出卓也坂手淳史松田力也)と共に同市から「京都市スポーツ栄誉賞」を授与されることが発表された[29]

2021年には、トップリーグ開幕後の3月に、NTTコムからキヤノンイーグルス(現・横浜キヤノンイーグルス)へ移籍した[30]

人物・エピソード

  • ラグビー日本代表チームでヘッドコーチ(HC)を務めたエディー・ジョーンズは、マフィの並外れた能力の高さから「Xファクター(特別な能力を持った選手)」「ギフト(神様からの贈りもの)」と呼んだ[31]。また、日本代表について「体格的に劣り、パワーが足りない」と評するが、「マフィは例外」と語っており、マフィの圧倒的な突進力を「ニュークリア・パワーステーション(原子力発電所)」と表現している[32]
  • ラグビー日本代表キャプテンのリーチ・マイケルもマフィについて「特別な存在」とその能力の高さを認めており、「普段はおとなしくてすごく性格がいい。でも、ボールを持った時のパワーは半端ない。必ず前に出てくれるので、チームに勢いを与えてくれる。」と語っている。[32]
  • 所属するシャイニングアークスでFWコーチを務める大久保直弥は「僕もいろいろと選手を見てきたけど、ナキはスペシャル。強さだけじゃない。相手の弱点を突く、気の利いたプレーもできる。」と語っている[6]
  • 2014年末の股関節脱臼骨折で全治1年6ヶ月と診断されたことから、一時は翌2015年のワールドカップ出場をあきらめたという。しかし、おじいちゃんになってからも畑に出ている父の姿や、兄弟や妻からの励まし、毎日のように見舞いに来てくれる仲間達、エディー・ジョーンズHCから手渡された "VS 南アフリカ 9月19日" と書かれた日本代表のジャージなどに励まされたことから、ワールドカップ出場に向けてチャレンジしようと決めたという。懸命なリハビリやチームのサポートの甲斐もあって、7月にはジョギング程度には走れるようになった。入院から約9ヶ月後の8月30日に行われた日本代表の最終登録メンバー発表で自分の名前が呼ばれた時の心境を「この時は南アに勝ったのと同じくらいうれしかった。ラグビーができるようになるまで1年半かかると言われていたのを、8ヶ月に縮めたんだから。奥さん、トンガの家族、NTTコミュニケーションズのチームのみんな、ファン、そして神様のおかげだと思う。だから、俺はなにがなんでもW杯で頑張りたかった。」と語っている。[6][33]
  • 2015年ラグビーワールドカップ第2戦のスコットランド戦で古傷の股関節を痛めて退場した後、3日間はベッドで寝ていたが、4日目ぐらいにネットでニュースを見ていたらエディー・ジョーンズHCが「ナキはサモア戦に間に合う」と話したことが記事になっていて、「えっ」とびっくりしたという。その後ホテルのロビーに下りたらエディー・ジョーンズHCがいて冗談だと思っていたら「大丈夫、大丈夫」と言われ、「勝手に言ってるよ」と思わず笑ってしまったと語っている[6]
  • ラグビー日本代表として2015年・2019年のワールドカップへ共に出場したトンプソンルークは、2015年のワールドカップ後に、「108㎏の私を後ろから抱き上げ空中に飛ばした。彼以外のリフターなら私を前から支えるアイブス・ジャスティン(2015年ワールドカップでのチームメイト)の手は膝の上にくるが、彼が上げると膝の下に来た。それだけパワーがあるということだ。こんな経験は初めてだった。彼のW杯(ワールドカップ)での活躍はその部分からでも容易に想像できた」というコメントを残している[34]

関連項目

脚注

外部リンク

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