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アイリーン・美緒子・スミス(アイリーン・みおこ・スミス、1950年 - )は、日本の写真家、通訳者、環境ジャーナリスト。 環境市民団体グリーン・アクション代表[1]。
旧姓スプレイグ。元夫で米写真家のユージン・スミス(1918 - 1978)と水俣で3年間生活をしながら水俣病の被害を撮影。1975年に写真集「MINAMATA」をユージンと出版し、実態を世界に告発した。写真の著作権管理組織アイリーン・アーカイブを主宰[2]。
米国人の父と日本人の母の間に東京で生まれた[3]。米スタンフォード大学在籍中の1970年、日本の富士フイルムのCM制作に通訳兼コーディネーターとして携わり、CMに出演したユージン・スミスと出会う。ユージンから仕事の支援を頼まれ、1971年に結婚。
2人で日本に移り、水俣で暮らしながら取材を開始。通訳を務めながら、ユージンの指導で自らも写真を撮影した。水俣病の患者や家族の日常、原因企業チッソと闘う人々の姿を写した夫婦共作の写真集「MINAMATA」を1975年に米国で出版(1980年に日本語版)し、水俣病を世界に知らしめた[4]。
ユージンの死後、米コロンビア大学で環境科学修士。1980年代から反原発運動を展開。1991年、グリーン・アクションを設立。環境保護活動を続けている。
代表作は、1972年米「ライフ」誌に掲載されたユージンとの共作「入浴する智子と母(Tomoko and Mother in the Bath)」。神秘的な美しさと被害の悲惨さを伝える作品として世界に知られたが、後に遺族の意向を踏まえて封印。写真の著作権管理組織アイリーン・アーカイブを設立し、管理してきた。しかし、水俣病の公式確認から65年となる2021年、ジョニー・デップ製作・主演の映画「MINAMATA-ミナマタ-」公開を機に封印を解いた。
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