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日本の漫画家 ウィキペディアから
たらさわ みち(1954年4月3日[1] - )は、日本の漫画家[2]。女性[2]。東京都目黒区出身、血液型はO型。いわゆる、ポスト24年組の一人。
ペンネームは旧姓の「桵沢」をひらがな表記にしたもの[3]。
2人姉妹の次女として誕生[4]。子供の頃は、石ノ森章太郎の影響を受け、いわゆるお絵描きノートに読み切りの漫画から長篇まで取りそろえた作品を描き、友人に見せていた、という[5]。
高校卒業後、ベビーシッターなどをしつつ、投稿をつづけ、その間に、萩尾望都・竹宮惠子・ささやななえこなどのアシスタントを経験[4]。1975年11月号からの「メルヘン」四部作(「メルヘン」・「プラネタリウムより」・「シルバーマン」・「パラダイス」)(『別冊少女コミック』)でデビュー。コンピュータ、マリアの支配下における世界で、「童話」を求め続ける少年の姿を鮮烈に描く。初連載長篇は、「エーデルワイス」(『別冊少女コミック』)。
1977年『ただいまポップコーンエイジ』、1978年『逃げろ!アイドル』、1979年『シドニー・ボーイ』を連載し人気を得る。[要出典]『シドニー・ボーイ』では、継母のジェラルディンに人気が集まり、彼女を主人公としたスピンオフ作品が、『週刊少女コミック』・『プチフラワー』に掲載される。
代表シリーズ、『バイエルンの天使』は、小学館『プチフラワー』、新書館『グレープフルーツ』などで発表され、音楽漫画の嚆矢の一つとなる。[要出典]
そのほかのシリーズ物に、JUNE掲載の「サイレンと薔(しょう)」シリーズなどがある。
その後は少女誌からレディスコミックまで幅広く活躍[6]。1990年代後半以降は、動物病院ものに注力している。
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