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老人が、鬼に質草として頬の瘤を取られる説話群で、「隣の爺型民話」の大分類のうちに数えられる。二人の翁(老人)が連夜で鬼の宴に参加し、隣の翁は逆に瘤を増やされる型が典型であるが、民話の常として様々な類型があり、ストーリーも様々である。鎌倉時代の説話物語集『宇治拾遺物語』にも木樵が「鬼にこぶとらるゝ事」として収載されており、「ものうらやみはせまじきことなりとか(人を羨ましがってはいけないものなのだ)」と羨望を戒める言葉で結ばれている。
日本各地に広く伝わっており、世界にも類例がある。
巖谷小波が編纂した「瘤取り」の昭和初期の刊行を底本とすると、次のような粗筋となる[1]。
ある爺さんが、右の頬に瘤(こぶ)ができて邪魔に思っていたが、医者に診せた甲斐もなく肥大するばかりだった。ある日、山に柴刈りに出たが、夕立に遭ってしまった。木のうろで雨宿り中、大勢の足音がして、他の樵夫たちかと安堵するが、それは恐ろしい鬼共だった。鬼共は酒盛りを始め、その頭(かしら)が、手下の踊りを順に鑑賞したが、もっと面白い舞はできぬものかとぼやく。老人は、鬼の囃子が面白いこともあり、つられて出てきて自分の舞を披露した。鬼たちは、踊りが大そう気に入り、また次の日も戻って舞えと所望し、約束をたがえぬようなにかを「かた」(質)に取ると言い出し、頬のたんこぶを捻り取った。
この話を聞いた左の頬に瘤がある爺さんは、それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けにその場所に出かけ、同じ木のうろで待っていると、日暮れごろに鬼が宴会をはじめ、特に頭の大鬼が待ち焦がれる様子だった。そこで隣の爺さんが姿を現したが、踊りの心得もなく、扇を片手に出鱈目で下手な踊りを披露したので鬼は興ざめてしまい、瘤は返すから立ち去れ、と追い払った。
こちらの翁は瘤を取ってもらえないばかりか、瘤二つヒョウタンのようになり、ほうほうのていで逃げ帰った。
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本話は関敬吾『日本昔話集成』や『日本昔話大成』で「隣の爺型」の大分類のうち194番「瘤取爺」に分類され、日本全国各地の例が挙げられている[2]。瘤をやり取りする相手が、鬼の代わりに天狗である柳田國男編「瘤ふたつ」[3]や他の例もみられ[4]、アールネ・トンプソンの分類は「AT 503A 天狗の贈り物」である[5][6]。
隣の翁は瘤を増やされるのが典型話であるが、踊り下手ゆえの顛末な例のほかに、強欲(宝物目当て)なことが裏目に出る例もある[7]。
歌の囃子文句として、「天狗天狗八天狗おれまでかぜれば九天狗」(岩手県花巻市)[8]、「一ボコ二ボコ三ボコ四ボコ俺も足して五ボコ」(岩手県西磐井郡花泉町)や [8][9]、「くるみわぱっぱ、ばあくるく、おさなげやあとの、おっかっか」などがみられる[要出典]。
異本例には、次のようなものがみられる:
同じ型の話は古く13世紀成立の『宇治拾遺物語』第三話に見られる[注 2]。
冒頭で翁の瘤の大きさが「大柑子(おおこうじ)」(大ぶりのみかん)ほどあると描写されるが[15][16][注 3]、これは現在の夏みかんの事だとも推察されている[17]。また、この瘤のせいで人と交わることができず、薪を集めて生業にしていたと、職業が木樵であったことが明確になっている[16][18]。
また、宇治拾遺物語では、様々な姿かたちの鬼について詳細に書かれており、口のないもの、一つ目のもの、青色を着た赤鬼、赤を着て、たふさぎ(ふんどし)を履いた黒鬼が登場する[19]。また、何か大切なものを質草に取られる場面では、そもそも鬼の方が、こぶは「福の物」と愛でられることであるし、と当時の迷信をとりあげて瘤を取ることに決めそうなところを、翁が口出しして「目や鼻ならば取ってもいいが、瘤だけは自分にとって大切なものであって、それだけは取らないでほしい」と懇願するのである[18][注 4]。
また、締めくくりに〈ものうらやみをしてはいけない〉という教訓的な言葉が見られる[20][21]。
『醒睡笑』巻1と巻6とに前半と後半とが分離した話が、類話として指摘される。これは1623年(元和元年)には成立していた話である[22][23]。
この話は世界的に広く分布し、アイルランドからギリシア、トルコ、インド、中国、朝鮮などに類話がみつかる[23]。概して東洋では顔や首のこぶ、西洋では背中のこぶとなっている。
中国では明代末期の楊茂謙の著書『笑林評』(1611年)にも類話がある[注 5][24]。また、漢文で書かれたものとしては『産語』上の「皐風第六」の説話があり、これは序文によれば漢代以前に失われた漢籍の復刻なので、この民話の源流という意見も出ている[24][25]。これは項(うなじ)の瘤を持つ樵夫が鬼に瘤をとってもらい、頚に瘤を患う里人が新しい瘤をつけられる話である[26]。しかしながら、この『産語』(1749年)は本物の古典ではなく、編者である太宰春台による作り話(「疑古文」)というのが有力説である[27]。
朝鮮の「瘤取り爺」も多数の説話群をなしている[注 6][24]。高橋亨が訳した「瘤取」の例があるが、最初の老爺は、自分の美声のもとは頬の瘤であると妖怪(トッケビ)を騙して売り払い、二番目の老爺も歌唱力はあったものの、売られた瘤には効果がないと返品されて瘤が増えてしまう[29]。他にも崔仁鶴(チェ・インハク)百選の「こぶとり爺」がある[30]。
ハングル文字では「ホクッテン・イヤギ」(혹뗀이야기; Hogtten-iyagi、「瘤を取られた話」の意)の題名で1923年版の『普通学校朝鮮語読本』に掲載されている[注 7][31][32]。これは日本の支配下において朝鮮総督府から支給されたものであるが、トッケビの研究者である中央大学校の金鐘大(キム・ジョンデ)などは、この物語を朝鮮に伝わる民話と認めず、日本の瘤取りの翻案と認識している[33]。
しかし朴美暻(パク・ミギョン)は、すでに「ホック・リーと小人たち」という瘤取り譚が、アンドリュー・ラング編『みどりいろの童話集』(1892年)に所収されており、これを朝鮮民話とみるなら、統治以前に朝鮮で成立していたことになると指摘する。ラングは童話を中国語からの訳とし、背景も中国になっているが、「ホク」が朝鮮語で「瘤」であることから、朝鮮の物語であることが濃厚と朴はみている[34][35]。
アイルランドの類話に「ノックグラフトンの伝説」があるが[36][37][注 8]、ここでは「月曜日、火曜日、」という囃子に水曜日を付け加え小人たちに喜ばれたたラズモアは背瘤を除去してもらい、同じくあやかろうとしたジャック・マドンは木曜日を余計に足して怒りを買い、元の瘤の上に二つ目の瘤を植えつけられ、それがもとで死んでしまう[36][39][注 9]。
またグリム童話に収載される「小人の贈り物」も類話であり[23]、そこでは一人目の翁(または職人)に瘤がない。
西アジア・北アフリカのイスラム圏では、公衆浴場で悪魔が宴会をしていて、瘤を取られる話がある(二回目は葬式をしていて、ふざけた踊りに悪魔が怒り出す)[要出典]。
日本の話型は、AT503A「天狗の贈り物」に細分類されているが[5]、世界の類話はAT503「小人の贈り物」に属している[41][42]。
この話のテーマは鬼による山中のお堂や祠の近くでの酒盛りと踊りであり、これは山伏のおこなう延年の舞(出峰蓮華会の延年)だとの考察がある[43]。
また鬼の代わりに天狗が出てくる話もあり、山神、山霊の司霊者である山伏はしばし天狗と一体化される。昔は顔などに大きな瘤や肉腫を持った老人が多く、貧民は手術でとることもできず、出峰した山伏は村人、信者を金剛杖で打ち病気を治すが、これも瘤を取る宗教的呪術にあたる。瘤を取るとか厄を払うという呪術は入峰中に蓄積された験力の発揮であり瘤取り爺(鬼)のメインテーマは山伏の延年と呪験力である。
験競の験力は究極すれば活殺自在といえるが、こうした力があれば病気を治すことも瘤を取ることも自在であると信じられたはずである。山から下った来訪神が不幸や災いを払って歩く様子を山伏が真似たものであり、験競の場には入峰で得たあらたかな験力で病気を治してもらおうとする人々が集まり、その中に瘤・肉腫をもった老人もいて山伏が印を結び呪文を唱えて気合をかければ跡形もなく取れた、と言うような話が『宇治拾遺物語』の説話へと変化していったのであろう。
木こりの爺が雨に会い山神の神木である大木の洞に入り、この木の前に鬼が出現するので山伏の延年がおこなわれる必然性が説明できる。鬼は山神をあらわすがときに死霊的性格を持ち、このような洞穴から出入りする鬼は霊物のイメージがあり古代にはそれが墓であり古代の横穴洞窟葬を意味するからである。
また爺さんの前に現れる鬼も、山中の淋しいお堂や大木の洞に入りそこで寝た経緯が、民話「化物寺」の廃寺に泊まり化け物に会うというくだりに似ており、話中の化け物寺の話の筋や歌が瘤取りの話に入り瘤取り爺さんの歌へと変化したものである。その鬼も「目一つ」や「口なき物」等100人あまりというのは「百鬼夜行」を表しそれを総じて鬼の一群と言い、また鬼である山神は眷属のお伴を連れ歩くと信じられており、その眷属は山神の子孫の霊物化であり、これが百鬼夜行の群行となり、話中の大将、親分の鬼は群れの中心の山神のことである。
異形の者たちによる集会は、上田秋成の『春雨物語』でも取り上げられており、若者が近江老曾(おいそ)の森で、一つ目の神、法師、修験者、妖怪、言葉を話す狐、猿、兎らによる宴に出くわす「目ひとつの神」という話がある。
一部には「きこりと金の斧」や「ねずみ浄土(おむすびころりん)」のような「隣の爺型民話」[44]と異なり、2人目の翁を擁護する分析もある。
太宰治作の『お伽草紙』の「瘤取り」は、阿波国の設定で書かれている[45]。主人公の翁は阿波踊りを披露して鬼の喝采を得、瘤を質にとられるが、酒好きで孤独な翁にとって「瘤」は可愛い孫のように愛しく孤独を慰める存在であった。逆に隣の翁は、地元の名士で、瘤を心底憎んでいた。ところが鬼の前で「是は阿波の鳴門に一夏(いちげ)を送る僧にて候。さても此浦は平家の一門果て給ひたる所なれば…」などと、その地の平家滅亡が主題の謡曲『通盛』を披露して閉口される[46]。
野村万作の新作狂言「こぶとり」も太宰原作の設定を踏襲。四国を舞台にした修羅能「八島」を見事に舞う隣の翁を野村が演じている。
近年の絵本版やアニメ版には様々なアレンジが加わっている。
例えば、二番目の翁は、単に舞が不得手だったのではなく、性格も悪かったという脚色がみられる。アニメーションテレビ番組『まんが日本昔ばなし』で紹介されたストーリーが、そのような「正直じいさんが得をし、意地悪じいさんが損をする」例である[47]。
さらには、瘤が増えて落ち込む意地悪な翁に陽気な翁が歌と踊りを教えて元気付け、意地悪な翁は立ち直り、村人とも上手く付き合えるようになる、という展開もある[48]。別の絵本では、瘤が二つとも自然にとれる[49]。
夢枕獏には「陰陽師 瘤取り晴明」(イラスト:村上豊)という作品がある。頬に瘤のある双子は、京の都では有名な薬師で安倍晴明の知人という設定[注 10][50]。
夏目房之介が『デキゴトロジー』で扱ったパロディ:「あるところに、小太りのじいさんがいた。おしまい」[51]。
ひろさちや『昔話にはウラがある』でも、「こぶとりじいさん」とは「小太りなおじいさん」だと思っていた若い女性の話題が登場する。話を語ってきかせると、「それはおかしい。こぶを取ったのは鬼で、じいさんは取られたのだから、こぶとられじいさん が正しい」という反論があったという[52]。
日本郵便「こぶとりじいさん」切手では「裕福だが無信心な翁」と「貧乏だが信心深い翁」(作画者の片岡球子による設定)および「宇佐神宮(八幡宮)の分社らしき山奥の神社の鳥居」「団扇を持った鼻の高い天狗」が描かれている。
切手の絵は、一般に普及している話と若干異なり、素早く逃げ出そうとした隣の翁が天狗たちに背を向けたため、耳の後ろに瘤をつけられた作画になっている。
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