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MIM-72(M48)チャパラル(英: Chaparral[3])は、アメリカ陸軍が運用していた短距離防空ミサイル・システム。MIM-72はミサイル本体の型式名であり、ミサイルシステム全体の型式名はM48である。
MIM-72(M48)チャパラル
開発はサイドワインダー短射程空対空ミサイルを元に行われ、1969年にアメリカ陸軍で運用が開始され、1990年-1998年に段階的に退役した。より短距離で短時間の交戦をカバーするM163対空自走砲と併用され、より長距離の目標の攻撃に使われることを目的とした。
1950年代末より、アメリカ陸軍は、前線防空用の新しい短距離防空ミサイルとしてMIM-46 モーラーの開発計画を進めていた。これは、極めて先進的なコンセプトを採用した短距離防空ミサイル・システムであったが、1961年ごろよりいくつかの問題に直面していた。
このことから、1963年9月、陸軍資材軍団(AMC)は、陸軍ミサイル軍団(MICOM)に対して、アメリカ海軍の短射程空対空ミサイルであったAIM-9 サイドワインダーを地対空ミサイルに転用するための基礎研究に着手するよう要請した。そして、これに基づき、暫定野戦軍防空研究(IFAADS:Interim Field Army Air Defense Study)が開始された。この研究では、サイドワインダーを転用して短距離防空(SHORAD)を担当させ、これを補完する近距離防空(VSHORAD)兵器としてM61 バルカンとFIM-43 レッドアイを配備、これらの火力システムとAN/MPQ-49 前線防空レーダー(FAAR)を連接することで防空システムを構築することを提唱した。IFAADSで検討された防空システムは、モーラー・システムよりも性能面では劣るが、より堅実・安価であり、しかも、早期に実現可能なソリューションであった。
1963年11月、MIM-46 モーラーは単なる技術実証計画に変更され、1965年11月には完全にキャンセルされた。一方、IFAAD研究は1965年に完了し、実現に向けて動き始めた。最初のXMIM-72Aミサイルは、1967年にアメリカ陸軍に届けられた。フォードは、M113装甲兵員輸送車の派生型の内の1つであるM548 装軌貨物輸送車からM730 装軌車輌を開発した。そして、最初のチャパラル大隊は、1969年5月に配備された。
一方、AN/MPQ-49 FAARは1966年に開発されたが、FAARはM561 ガマ・ゴート(六輪駆動の1.5t非装甲装輪トラック)で輸送されたため、最前線(FEBA)における使用に適さなかった。
MIM-72A ミサイルは、AIM-9D サイドワインダーを基にしていた。主な違いは空気抵抗を減らすために、MIM-72Aの尾翼のうちの2枚だけにローレロン(rolleron:スリップ気流駆動フライホイール)を持つということである。他の2枚は非可動の薄い尾翼と取り替えられた。MIM-72のMK 50固形燃料ロケット・モーターは、AIM-9D サイドワインダーで使われるMK 36 Mod 5と基本的に同様のものであった。
MIM-72 ミサイルは、M48 発射装置(ミサイルを左右に片側2基ずつ4基保持するM54 ミサイル発射機とM730 装軌車輌からなる)から発射される。M48には渡河能力がある。
M48は、予備のミサイル8基をM730の後部内に収納している。予備のミサイルは嵩張らないように操舵翼と尾翼を取り外され、二分割のカバーに覆われている。ミサイルの装填は全て人力で行われる。ミサイルの重量は1本あたり86kgあるため、人力で運搬や装填作業をするには4人ほど必要とする。
ミサイルの装填手順は、M54を後ろ向きにし、ランチャーレールに俯角をかけ、M730後面のハッチを開け、操舵翼と尾翼とミサイルを取り出し、ミサイルのカバーを外し、ランチャーレールにミサイル尾部の方からスライドさせて装填後、空のカバーをM730の後部内に戻し、ミサイルに操舵翼と尾翼を取り付ける。
M54は、ミサイル本体の赤外線シーカーによる赤外線ホーミング誘導の撃ちっ放し方式であり、管制装置を必要としない。M54には射手席があり、天井が前方開きの透明窓兼ハッチになっている。M54は360度旋回、-5度~+90度の俯仰角が可能。M48は非戦闘時にはM54を後ろ向きにして基部をM730内に収納する。M54はM730以外の車輌にも搭載可能。
M730は、エンジン換装などによりM730A1、M730A2に発展している。
MIM-72Aは、FIM-43 レッドアイのような第1世代の赤外線シーカーを使っていたため、フレアと「ホット・ブリック」妨害装置(例えば、Mi-24に取り付けられたL166 IRCMユニット)によって欺瞞することができた。また、シーカーに航空機の排気熱を捉えさせる必要があり、ミサイルを航空機の背後から追尾させることしかできなかった。訓練用のMIM-72Bは、信管が異なることを除いてA型と同様であった。
MIM-72Cは、1974年から、新型のドップラー・レーダー信管と改善された弾頭ばかりでなく、ミサイルに全方位攻撃能力を与える改善された誘導部を持っている。信管と弾頭は、以前のモーラー計画のものを変更して作られた。C型は1976年-1981年に配備され、1978年に作戦可能状態に達した。MIM-72Dは実験的にA型からシーカーを、C型から弾頭を使ったが、配備はされなかった。
MIM-72Cは、海軍バージョンであるRIM-92C シーチャパラルを基に開発された。RIM-92Cはアメリカ海軍には採用されなかったが、台湾に輸出された。なお、型式名の92は、FIM-92 スティンガーに割り当てられたものであるため、正式なものではない。
チャパラル・システムは、目視で目標を追跡し、大まかな方向にミサイル発射機を回転させ、ミサイルのシーカーが目標にロックオンするのを待って、手動で発射される。これは、チャパラル・システムを昼間だけの交戦に制限し、その場合でさえ、シーカーがロックオンするのに十分に長い時間目標が見えていることを必要とする。それは、例えば遮蔽物の向こうから突然現れるヘリコプターとの交戦には適さないことを意味する。
1977年に、フォード・モーターとテキサス・インスツルメンツは、FLIR(Forward Looking InfraRed、前方赤外線監視カメラ)を追加することでチャパラルに限定的な全天候能力を与える計画を始めた。テストは成功したものとされ、FLIRによるアップグレードは1984年9月に行われた。FLIRは、発射機左側の上下ミサイル間に追加された。
1978年の試射では新型の無煙ロケット・モーターを使用し、それは発射後の可視性を大幅に低下させ、引き続いてのミサイルの発射を非常に容易にした。新たに製造された無煙ロケット・モーター型ミサイルがMIM-72Fとして知られる一方、既存のミサイルも同様に改善され、MIM-72Eとなった。
最後のアップグレードは1980年に始まり、FIM-92 スティンガーのシーカーを元にMIM-72のために大幅に改良されたシーカーを作った。スティンガーのシーカーは、大部分の一般的な妨害を無視することができるのみならず、照準軸外の目標に対してかなり高い能力がある。改良の結果としてMIM-72Gと呼ばれるミサイルを供給するためにフォードに契約が与えられ、供給は1982年に始まっている。その後、すべての既存のミサイルは1980年代後期までに更新された。新たに製造されたG型は、1990年-1991年に製造された。この時までに、チャパラル・システムはすでに正規の陸軍の任務からは外されていて、陸軍州兵(ANG)に譲渡されていた。
MIM-72の2つの輸出専用バージョンも造られた。MIM-72Fの輸出型であるMIM-72Hと、MIM-72Gの誘導部および制御部をダウングレードしたMIM-72Jである。
出典:Designation-Systems.Net[1]
出典:Designation-Systems.Net[1]
出典:ウィキペディア ドイツ語版[4]
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