1992年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ
メジャーリーグベースボールの第24回ナショナルリーグ優勝決定シリーズ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
1992年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)のポストシーズンは10月6日に開幕した。ナショナルリーグの第24回リーグチャンピオンシップシリーズ(英語: 24th National League Championship Series、以下「リーグ優勝決定戦」と表記)は、同日から14日にかけて計7試合が開催された。その結果、アトランタ・ブレーブス(西地区)がピッツバーグ・パイレーツ(東地区)を4勝3敗で下し、2年連続14回目のリーグ優勝および6回目のワールドシリーズ進出を果たした。
1992年のナショナルリーグ チャンピオンシップシリーズ | |||||||
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シリーズ情報 | |||||||
試合日程 | 10月6日–14日 | ||||||
観客動員 | 7試合合計:37万4599人 1試合平均:05万3514人 | ||||||
MVP | ジョン・スモルツ(ATL) | ||||||
殿堂表彰者 | ジョン・シャーホルツ(ATL GM) ボビー・コックス(ATL監督) トム・グラビン(ATL投手) ジョン・スモルツ(ATL投手) テッド・シモンズ(PIT GM[注 1]) ジム・リーランド(PIT監督) | ||||||
チーム情報 | |||||||
アトランタ・ブレーブス(ATL) | |||||||
シリーズ出場 | 2年連続4回目 | ||||||
GM | ジョン・シャーホルツ | ||||||
監督 | ボビー・コックス | ||||||
シーズン成績 | 98勝64敗・勝率.605 西地区優勝 | ||||||
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ピッツバーグ・パイレーツ(PIT) | |||||||
シリーズ出場 | 3年連続9回目 | ||||||
GM | テッド・シモンズ | ||||||
監督 | ジム・リーランド | ||||||
シーズン成績 | 96勝66敗・勝率.593 東地区優勝 | ||||||
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ワールドシリーズ |
両球団がリーグ優勝決定戦で対戦するのは、2年連続2度目。この年のレギュラーシーズンでは両球団は12試合対戦し、ブレーブスが7勝5敗と勝ち越していた[1]。今シリーズ最終第7戦はパイレーツの2点リードで9回裏を迎えたが、ブレーブスは1点を返したあと二死満塁とし、代打フランシスコ・カブレラの2点適時打で逆転サヨナラ勝利を収めた。ポストシーズン史上、最終第7戦のサヨナラで決着したシリーズは過去にも複数あったが、全て同点からの勝ち越しによるサヨナラだった[注 2]。最後の1プレイでビハインドから一挙に逆転してのサヨナラ決着は、今シリーズが史上初である[2]。二塁走者シド・ブリームがパイレーツ捕手マイク・ラバリエールのタッチをかいくぐってサヨナラの生還をした場面は "ザ・スライド"(英語: The Slide)として知られる[3]。シリーズMVPには、中3日で第1戦・第4戦・第7戦の3試合に先発登板し、20.1イニングで2勝0敗・防御率2.66という成績を残したブレーブスのジョン・スモルツが選出された。しかしブレーブスは、ワールドシリーズではアメリカンリーグ王者トロント・ブルージェイズに2勝4敗で敗れ、35年ぶり3度目の優勝を逃した。
ブレーブスの外野手ディオン・サンダースは、野球のMLBだけでなくアメリカンフットボールのNFLでもプレイする2競技兼業選手であり、当時はNFLではアトランタ・ファルコンズに在籍していた。10月10日の今シリーズ第4戦出場翌日、サンダースはフロリダ州マイアミガーデンズでの午後1時1分からのファルコンズの試合と、ペンシルベニア州ピッツバーグでの午後8時44分からの今シリーズ第5戦の両方に出場するため、約1,180マイル(1,900km前後)離れた両都市間を未明からチャーター便で往復した[4]。ただ結局、第5戦のほうで出場機会がなかったため、北米4大プロスポーツリーグのうちのふたつで同じ日に両方の試合に出場、という史上初の記録を達成することはできなかった[5]。