1990 FIFAワールドカップ
1990年にイタリアで行われた第14回FIFAワールドカップ / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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1990 FIFAワールドカップ(英: 1990 FIFA World Cup)は、1990年6月8日から7月8日にかけてイタリアで開催された第14回目のFIFAワールドカップである[1]。イタリアでの開催は1934年大会以来2回目であり、メキシコで開催された1986年大会に次いで2か国目の事例となった。1988年4月から始まった予選には116の国と地域の代表チームが参加し22チームが出場権を獲得した。これに予選を免除された開催国のイタリア代表と前回優勝のアルゼンチン代表を含めた24チームが参加した。大会の公式球はエトルスコ・ユニコ、公式マスコットはサッカーボールとイタリア国旗をあしらった「チャオ」[2]。日本放送協会の協力によりイタリア放送協会を通じて世界各国に高精細度テレビジョン放送として配信された初の大会でもある[3]。
1990 FIFAワールドカップ 1990 FIFA World Cup Campionato mondiale di calcio 1990 | |
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大会概要 | |
開催国 | イタリア |
日程 | 1990年6月8日 - 7月8日 |
チーム数 | 24 (5連盟) |
開催地数 | 12 (12都市) |
大会結果 | |
優勝 | 西ドイツ (3回目) |
準優勝 | アルゼンチン |
3位 | イタリア |
4位 | イングランド |
大会統計 | |
試合数 | 52試合 |
ゴール数 |
115点 (1試合平均 2.21点) |
総入場者数 |
2,517,348人 (1試合平均 48,411人) |
得点王 | サルヴァトーレ・スキラッチ(6点) |
最優秀選手 | サルヴァトーレ・スキラッチ |
< 19861994 > |
決勝戦は西ドイツ代表対アルゼンチン代表という2大会連続で同一カードとなったが(これは2022年大会に到るまで唯一の記録)、西ドイツ代表がアルゼンチン代表を1-0と下し3回目のワールドカップタイトルを獲得した[1]。なお、西ドイツは1990年末に東ドイツとの再統一を控えており、西ドイツ代表としてはこれが最後の大会出場となった[2]。チェコスロバキア代表、ユーゴスラビア代表、ソビエト連邦代表も東欧革命の影響により最後の大会出場となった[2]。
平均得点は2.21と最低記録を更新し[1][2][4]、決勝戦における初の退場者を含め当時としては最多記録となる16枚のレッドカードが掲示されたことから、ワールドカップの歴史上において最も退屈な大会とも評されている[5][6]。
一方、開幕戦でカメルーン代表がアルゼンチン代表を下す番狂わせを演じ[1]、アフリカ勢として初めて準々決勝進出を成し遂げる[2]など話題性には事欠くことはなかった[1]。また、大会開催のためにトリノとバーリには新たにスタジアムが建設され、10のスタジアムが改築されるなど設備投資が行われた[1]。この他、約266億9000万人の人々が視聴するなど、テレビ史上において最も注目されたスポーツイベントの一つでもあった[7]。この大会の反省から国際サッカー連盟は1992年、守備側の選手の遅延行為を禁止するためのバックパス・ルールを導入、さらに1994 FIFAワールドカップからは攻撃的サッカーと勝利を追求するため、グループリーグにおいて新たな勝ち点制度を導入した。