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1994年にアメリカで行われた第15回FIFAワールドカップ ウィキペディアから
1994 FIFAワールドカップ(英: 1994 FIFA World Cup)は、1994年6月17日から7月17日にかけて、アメリカ合衆国で開催された15回目のFIFAワールドカップである。
開催国アメリカと前回大会優勝国ドイツは予選免除となり、残る22枠を巡って各大陸・地域で予選が行われた。
ヨーロッパ予選では、優勝経験国であるイングランドと1998年大会の開催予定国であるフランスが敗退するという波乱が起きた。フランスは最終節のホームゲームで、試合終了間際にブルガリアに決勝点を奪われるというショッキングな結末だった(パリの悲劇)。EURO '92を制したデンマークも予選敗退し、前回大会ベスト8のユーゴスラビアは内戦の影響で予選から除外された。
南米予選では、2強のブラジルとアルゼンチンが予選突破に苦しんだ。ブラジルはアウェーのボリビア戦で南米予選初黒星を喫し、最終節で辛くも本大会出場を決めた。アルゼンチンはホームゲームでコロンビアに0-5と大敗し、大陸間プレーオフでオーストラリアを退けアメリカ行きを決めた。なおチリはロハス事件のため、予選参加を禁止された。
アフリカ予選ではナイジェリアが、アジア予選ではサウジアラビアが初出場を果たした。アジア予選では日本も初出場の一歩手前まで近づいたが、フランスと同じく、最終節イラク戦の試合終了間際に同点に追いつかれチャンスを逃した(ドーハの悲劇)。
出場選手は1994 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 | 予選 | 組 予選順位 | 出場国・地域 | 出場回数 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
CONCACAF | 1+1.25 | 開催国 | アメリカ合衆国 | 2大会連続5回目 | |||
最終予選 | 1位 | メキシコ | 2大会ぶり10回目 | ||||
UEFA | 1+12 | 前回優勝国 | ドイツ | 11大会連続13回目[1] | |||
欧州予選 | 1組 | 1位 | イタリア | 9大会連続13回目 | |||
2位 | スイス | 7大会ぶり7回目 | |||||
2組 | 1位 | ノルウェー | 12大会ぶり2回目 | ||||
2位 | オランダ | 2大会連続6回目 | |||||
3組 | 1位 | スペイン | 5大会連続9回目 | ||||
2位 | アイルランド | 2大会連続2回目 | |||||
4組 | 1位 | ルーマニア | 2大会連続6回目 | ||||
2位 | ベルギー | 4大会連続9回目 | |||||
5組 | 1位 | ギリシャ | 初出場 | ||||
2位 | ロシア | 4大会連続8回目[2] | |||||
6組 | 1位 | スウェーデン | 2大会連続9回目 | ||||
2位 | ブルガリア | 2大会ぶり6回目 | |||||
CONMEBOL | 3.5 | 南米予選 | 1組 | 1位 | コロンビア | 2大会連続3回目 | |
2位 | アルゼンチン | 6大会連続11回目 | ○ | ||||
2組 | 1位 | ブラジル | 15大会連続15回目 | ||||
2位 | ボリビア | 11大会ぶり3回目 | |||||
CAF | 3 | 最終予選 | A組 | 1位 | ナイジェリア | 初出場 | |
B組 | 1位 | モロッコ | 2大会ぶり3回目 | ||||
C組 | 1位 | カメルーン | 2大会連続3回目 | ||||
AFC | 2 | 最終予選 | 1位 | サウジアラビア | 初出場 | ||
2位 | 韓国 | 3大会連続4回目 | |||||
OFC | 0.25 | 地区予選 | 出場国無し |
サッカーは世界的には非常に人気が高いが、アメリカではメジャースポーツ(野球・アメリカンフットボール・バスケットボール・アイスホッケー)の人気に及ばず、国内プロリーグの北米サッカーリーグも世界のスター選手を集めながら消滅していた。代表チームの下馬評は低く、開幕前まで大会の盛り上がりは予想できなかった。
しかし、知将ボラ・ミルティノビッチ率いるアメリカはグループリーグで強豪コロンビアを退け、開催国のノルマである決勝トーナメント進出に成功。アレクシー・ララスやトニー・メオラのような人気選手も生まれ、国民の声援も高まっていった。決勝トーナメント1回戦では7月4日の独立記念日に王国ブラジルと対戦し、0-1で敗れるも善戦した。アメリカンフットボールのスタジアムなど会場の規模が最低でも収容人員数5万人台、最大で9万人以上と大きかったこともあり、観客動員数は約359万人、1試合あたり約6.9万人を記録した[3]。これは試合数が52試合から64試合に増えたフランス大会以降の大会をも上回る最高記録である。この大会の成功をステップにして、1996年には新たなプロリーグ、メジャーリーグサッカー(MLS)が創設された。
他方、プレイヤーサイドから見ると、アメリカの広大な大陸を舞台にするため、各会場間の長距離移動、時差、気温・湿度の変化といったコンディションの厳しさがあった(西海岸は過ごしやすく、東海岸は蒸し暑かった)。さらに、ヨーロッパ諸国のゴールデンアワーのテレビ中継に合うようスケジュールが組まれたため、真夏の炎天下でのデーゲームが多くなった(アメリカンフットボールのスタジアムには日差しを遮る屋根が無い)。このため、体力面でのタフさが勝敗に左右するなど、相手チーム以上に暑さが敵だと言われていた[4]。消耗の激しい試合が続く中で、自陣を固めてカウンターを仕掛ける堅守速攻型のチームが活躍を見せることになった。
前回大会の優勝国ドイツと準優勝国アルゼンチンはベスト4にたどり着けず敗退した。国家再統一により東西合同チームとなったドイツは前回優勝メンバーを揃えたもののチームが高齢化しており、エッフェンベルクとバスラーが大会途中でチームを離れるなど、チーム内が一枚岩ではない状況だった。準々決勝で伏兵ブルガリアに足をすくわれ[5]、4大会連続の決勝進出はならなかった。英雄ディエゴ・マラドーナが復帰したアルゼンチンはガブリエル・バティストゥータのハットトリックで好発進したが、ナイジェリア戦後のドーピング検査でマラドーナの尿からエフェドリンが検出され、無期限出場停止で大会から追放された[6]。これでムードは暗転して次戦のブルガリアに敗れ、3位に転落してのグループリーグ突破となった。これによりダラスからロサンゼルスへの中2日の厳しい移動を強いられ、決勝トーナメント1回戦でルーマニアに敗れた。カルロス・バルデラマら魅惑的なタレントを擁し、ペレが優勝候補と認めたコロンビアは初戦から連敗と躓いたのが響き、グループA最下位で早々に大会を去った。アメリカ戦でオウンゴールを犯したアンドレス・エスコバルは、帰国後に地元のバーで射殺された(エスコバルの悲劇)。サッカー賭博による損失への逆恨みとも言われているが、FIFA及び世界中から強い批判の声が挙がった。なお、事件直後に行われた決勝トーナメント1回戦のドイツ-ベルギー戦とスペイン-スイス戦では、彼の死を悼んでキックオフ前に黙祷が捧げられた。
予想外の活躍で大会を盛り上げたチームもあった。ブルガリアは初戦で0-3と大敗したが、第2戦でワールドカップ初勝利を挙げると、アルゼンチン・メキシコ・ドイツと強豪国を破ってベスト4まで進出。強豪フランスを土壇場で予選敗退に追い込んだ、ヨーロッパ予選から続く快進撃で国民を喜ばせた。エースのフリスト・ストイチコフは6得点で大会得点王を獲得し、年末にバロンドールを受賞した。北欧のスウェーデンは猛暑に屈せず、トマス・ブロリン、ケネット・アンデションら攻撃陣が活躍し、1958年大会の準優勝に次ぐ3位という成績を収めた。初戦でブルガリアに圧勝したナイジェリアは初出場でグループリーグを1位で突破し、決勝トーナメント1回戦でもイタリアをあと一歩まで追い詰めた。サウジアラビアも初出場ながら1966年大会の北朝鮮以来となるアジア勢の勝利を挙げ、決勝トーナメント進出を果たした。グループFベルギー戦でサイード・オワイランが魅せた60mドリブル4人抜きゴールは大会のハイライトの一つとなった。
個々のプレーヤーでは、ルーマニアをベスト8まで導いた「東欧のマラドーナ」ことゲオルゲ・ハジ、GKとしては小柄ながら俊敏なセービングと派手なユニフォームが目立ったメキシコのホルヘ・カンポス、ファインセーブを連発してヤシン賞(最優秀GK賞)を受賞したベルギーのミシェル・プロドームなどの活躍が光った。
7月17日にロサンゼルスで行われた決勝戦では、ともに優勝3回を誇る伝統国ブラジルとイタリアが対戦した。このカードの決勝戦は、ブラジルが3回目の優勝を記した1970年大会以来となる。ぬかりなく勝ち上がってきた「攻め」のブラジルと、しぶとく調子を上げてきた「守り」のイタリアという構図で、ともに準決勝までに5得点を挙げていたロマーリオとロベルト・バッジョのエース対決も注目された。試合は炎天下で動きのないまま進み、延長戦も0-0のまま終了し、ワールドカップ史上初の決勝PK戦に突入。ブラジルは主将ドゥンガらがPKを決めたのに対して、イタリアは守備の要フランコ・バレージが1番手、名手ロベルト・バッジョが最後の5番手としてゴールバーの上に蹴り上げてしまい、1970年大会以来6大会ぶりに、単独最多となる4回目のワールドカップを制覇した。ロマーリオは無得点に終わったものの、ゴールデンボール(大会MVP)を受賞した。
大会前、ブラジルへの期待度は低かったが、ロマーリオとベベットの2トップ、ドゥンガとマウロ・シウバのダブルボランチ、マルシオ・サントスとアウダイールのDFラインは良く機能し、レギュラーのアクシデントを補う控え選手の質も高かった。また、5月にF1のレース中に事故死した英雄アイルトン・セナに報い、国民を勇気づけようとチームが団結していた。試合前には選手同士が手をつないで入場し、決勝戦後にはセナへのメッセージを書いた横断幕を掲げた[7]。しかし、ブラジル国内ではカルロス・アルベルト・パレイラ監督のバランス重視の戦術が「芸術的ではない」と批判され、24年ぶりの王者は正当に評価されなかった[8]。
アメリカでサッカー人気が盛り上がらない理由の一つに、「なかなか得点が入らない」という見方がある。前回イタリア大会はリスクを抑えた消極的な試合運びや時間稼ぎが横行し、1試合平均2.21得点と過去最低を記録した。FIFAは積極的に得点を狙うプレーを促進するようなルール改正を行った。今大会では総得点141点・1試合平均2.71点と改善し、24チーム52試合制で行われた4大会の中では1982年大会(総得点146点・1試合平均2.80点)に次ぐアベレージを記録した。
ラフプレーや故意犯的な反則が増加した前回大会の反省を踏まえ、FIFAは「危険もしくは故意犯的な反則に対しては厳しく裁定するように、それを守らないレフェリーには即刻帰国してもらう」という異例の通達を出していた。そのため、警告数は前回の163から235と72件も増加した。反則を厳しく取らなかったレフェリーや、明らかにPKを与えるべき反則を見逃してしまったレフェリーが解雇される事態も起きた。一方で退場者は前回16から15と横這いにとどめ、グループリーグで警告1枚の選手に対しては、決勝トーナメントではその1枚が累積しない配慮もとられた。一発退場の中には、ナイジェリア戦のイタリアFWジャンフランコ・ゾラのような厳しい裁定もあった。
この大会ではビデオによる事後裁定が初めて適用された。準々決勝のイタリア対スペイン戦で、イタリア1点リードの終了直前、イタリアDFマウロ・タソッティがゴール前で競ったスペインFWルイス・エンリケの鼻に肘打ちを見舞い、鼻骨骨折・流血させる事態が起きた。レフェリーの死角でのアクシデントであったため、PKの裁定にはならずイタリアが勝利したが、事態を重く見たFIFAはこの試合後にタソッティに対し、8試合出場停止という重い処分を下した。タソッティ以外にも、アメリカ戦で肘打ちで一発退場となったブラジル代表レオナルドと、ドイツ戦で交代出場直後に一発退場になったボリビア代表マルコ・エチェベリに対しても、それぞれ4試合・2試合の出場停止が科せられ、その後の試合出場が不可になった。また、韓国戦で自国サポーターからのブーイングに対して中指を突きたてたドイツ代表シュテファン・エッフェンベルクに対し、ドイツサッカー協会が大会からの追放処分を科す出来事も起きた。
カリフォルニア州パサデナ (ロサンゼルス) |
カリフォルニア州スタンフォード (サンフランシスコ) |
ミシガン州ポンティアック (デトロイト) |
ニュージャージー州イーストラザフォード (ニューヨーク) |
---|---|---|---|
ローズボウル | スタンフォード・スタジアム | ポンティアック・シルバードーム | ジャイアンツ・スタジアム |
収容人数: 94,194 | 収容人数: 84,147 | 収容人数: 77,557 | 収容人数: 76,322 |
テキサス州ダラス | |||
コットン・ボウル | |||
収容人数: 64,000 | |||
イリノイ州シカゴ | フロリダ州オーランド | マサチューセッツ州フォックスボロ (ボストン) |
ワシントンD.C. |
ソルジャー・フィールド | シトラス・ボウル | フォックスボロ・スタジアム | ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム |
収容人数: 63,160 | 収容人数: 62,387 | 収容人数: 54,456 | 収容人数: 53,121 |
※いくつかの競技場は大会後の改装でスペックが変更されており、収容人員数は大会当時のもの。また、1996年開幕のメジャーリーグサッカーの本拠地となったスタジアムもある。
ラウンド16 | 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
7月2日 - シカゴ | ||||||||||||||
ドイツ | 3 | |||||||||||||
7月10日 - イーストラザフォード | ||||||||||||||
ベルギー | 2 | |||||||||||||
ドイツ | 1 | |||||||||||||
7月5日 - イーストラザフォード | ||||||||||||||
ブルガリア | 2 | |||||||||||||
ブルガリア (PK) | 1 (3) | |||||||||||||
7月13日 - イーストラザフォード | ||||||||||||||
メキシコ | 1 (1) | |||||||||||||
ブルガリア | 1 | |||||||||||||
7月5日 - フォックスボロ | ||||||||||||||
イタリア | 2 | |||||||||||||
イタリア (aet) | 2 | |||||||||||||
7月9日 - フォックスボロ | ||||||||||||||
ナイジェリア | 1 | |||||||||||||
イタリア | 2 | |||||||||||||
7月2日 - ワシントンD.C. | ||||||||||||||
スペイン | 1 | |||||||||||||
スペイン | 3 | |||||||||||||
7月17日 - パサデナ | ||||||||||||||
スイス | 0 | |||||||||||||
イタリア | 0 (2) | |||||||||||||
7月4日 - パロアルト | ||||||||||||||
ブラジル (PK) | 0 (3) | |||||||||||||
ブラジル | 1 | |||||||||||||
7月9日 - ダラス | ||||||||||||||
アメリカ合衆国 | 0 | |||||||||||||
ブラジル | 3 | |||||||||||||
7月4日 - オーランド | ||||||||||||||
オランダ | 2 | |||||||||||||
オランダ | 2 | |||||||||||||
7月13日 - パサデナ | ||||||||||||||
アイルランド | 0 | |||||||||||||
ブラジル | 1 | |||||||||||||
7月3日 - ダラス | ||||||||||||||
スウェーデン | 0 | 3位決定戦 | ||||||||||||
スウェーデン | 3 | |||||||||||||
7月10日 - パロアルト | 7月16日 - パサデナ | |||||||||||||
サウジアラビア | 1 | |||||||||||||
スウェーデン (PK) | 2 (5) | ブルガリア | 0 | |||||||||||
7月3日 - パサデナ | ||||||||||||||
ルーマニア | 2 (4) | スウェーデン | 4 | |||||||||||
ルーマニア | 3 | |||||||||||||
アルゼンチン | 2 | |||||||||||||
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1994 FIFAワールドカップ優勝国 |
---|
ブラジル 6大会ぶり4回目 |
順位 | 選手名 | 国籍 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | フリスト・ストイチコフ | ブルガリア | 6 |
オレグ・サレンコ | ロシア | ||
3 | ロマーリオ | ブラジル | 5 |
ロベルト・バッジョ | イタリア | ||
ケネト・アンデション | スウェーデン | ||
ユルゲン・クリンスマン | ドイツ | ||
7 | ガブリエル・バティストゥータ | アルゼンチン | 4 |
フロリン・ラドチョウ | ルーマニア | ||
マルティン・ダーリン | スウェーデン |
賞 | 選手名 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|
ゴールデンボール(大会MVP) | ロマーリオ | ブラジル | 優勝 |
シルバーボール | ロベルト・バッジョ | イタリア | 準優勝 |
ブロンズボール | フリスト・ストイチコフ | ブルガリア | 4位 |
ゴールデンシューズ(得点王) | フリスト・ストイチコフ | ブルガリア | 6得点 |
オレグ・サレンコ | ロシア | ||
ヤシン賞(最優秀GK) | ミシェル・プロドーム | ベルギー | 4失点 |
決勝戦の開催前の7月16日、FIFAワールドカップ優勝経験者であるペレやボビー・チャールトンを含むFIFAの専門家により大会のオールスターチームが選出された[13]。オールスターチームの選出は大会史上初の試みとなる[13]。
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