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中国黒竜江省の地級市 ウィキペディアから
鶴崗市(かくこう-し、ヘガン-し、満洲語: ᡥᡝᡤᠠᠩ 転写:hegang)は中華人民共和国黒竜江省に位置する地級市。炭鉱を産業の中心にした都市である。市区人口は59万人。
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鶴崗一帯は周代は粛慎、漢魏代は挹婁の居住地であり、唐代は渤海により黒水都督府が設置され、遼代は女真五国部に、金代は胡里改路、元代は水達達路、明代は奴児干都司、清初は黒竜江将軍所属のフラン副都統の管轄地とされた。
1906年(光緒32年)に湯原県が設置されると鶴崗地区は湯原県の管轄に置かれた。1908年(光緒34年)に鶴崗県設置の上奏が行われたが、この際には人口が希薄であるとして却下されている。しかし1914年に石炭が発見されると急激に人口が増加、1918年には鶴立崗住民の沈松年により興華煤鉱公司が設立され本格的な石炭採掘が開始され、1926年には炭鉱から蓮江口までの鉄道が開通すると都市化が進み、鉱山鎮と称されるようになった。1929年3月、中華民国は興山県を設置された。
満洲国が建国されると1934年に興山鎮は湯原県鉱山保に、更に1938年には興山街に改称され、1944年1月になると鶴崗街に改編された。
戦後興山鎮とされたが、1945年12月20日に合江省政府は興山鎮に一旦市制を施行、1949年11月24日に鶴崗市に改称された。
1946年からは満州に抑留された日本人約1700人が「留用」という形で炭鉱労働を強いられた。1700人の多くはシベリアから逆送された者や満蒙開拓青少年義勇軍隊員であった。現地には、野坂参三から指示を受けた大塚有章をリーダーとする日本人共産主義者が送り込まれて思想教育も行われた。1953年になり、参議院議員の高良とみが訪中。中国紅十字会代表との間で交渉が行われ、ようやく引き揚げが実現した。[1]。
黒竜江省四大炭鉱地域の一つとして発展し続けてきたが先細りとなり、2011年には国が資源枯渇都市として認定。その頃から経済成長が止まった[2]。2021年12月23日、黒竜江省鶴崗市人民政府は公式サイトで、「鶴崗市政府の財政再建計画の実施により、財政状況が大きく変化したため、政府職員の公募計画を中止することにしたので、ご理解ください。」との通知を発表した。しかし、この市政府からの告知は注目を集めすぎたため、早々に削除された。
6市轄区・2県を管轄する。
この節の出典[3]
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