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1579年(天正7年)、因幡国の有力国人・吉岡定勝によって築かれ[1]、1581年(天正9年)の羽柴秀吉による因幡侵攻に伴い落城、廃城となった。なお、防己尾(つづらお)という城名は江戸時代ごろに定着したものであり、天正年間には亀山城、吉岡城と呼ばれた。
もともと吉岡氏は六反田の丸山城を本拠としていたが、1573年(天正元年)頃に箕上山城(標高297m)に本拠を移した。しかし箕上山城はあまりに峻険かつ深山だったため、前記1579年(天正7年)に防己尾城を築いて新たな本拠とした。
1581年の羽柴秀吉の鳥取城攻撃に際し、吉岡一族は防己尾城に拠って羽柴秀吉に対抗した。伝承に拠れば、「湖畔の小城一つと見くびった秀吉は3度にわたって手勢を差し向けるが、吉岡は変幻自在の戦法で秀吉の大軍を3度とも撃破した。特に2度目の防己尾城攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印も打ち捨てられるほどの大勝だった。」と伝わるが、そもそも史実の羽柴秀吉は「千成瓢箪の馬印」を使用していないなど、戦闘の経緯を含めて後世の巷談でしかない。
言い伝えによれば、力攻めは不利と悟った秀吉は兵糧攻めに切り替えたため、糧食尽きた吉岡一族は降伏して城を出て、毛利氏の本拠である安芸国など諸国を放浪の末、因幡国に戻って帰農したと伝えられている。
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