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長野郷土史研究会(ながのきょうどしけんきゅうかい)は、長野県の郷土史・歴史愛好家の会である。会員は長野市・上水内郡・長野県内をはじめ全国にいる[1]。その研究対象は長野県全域にとどまらず、県と接する地域や長野県とつながりのある全国各地にまで及んでいる[2]。
初代会長である小林計一郎が、1958年『善光寺と長野の歴史』を刊行する際、発行所名として「長野郷土史研究会」を用いたことがその始まりである。1961年から史跡めぐりや講演会等の活動を開始。1964年には地域研究誌である機関誌『長野』を創刊した[3]。
2006年に小林計一郎の息子・小林一郎が二代目会長に就任。活動は小林計一郎の没後も続き、2014年には『長野』創刊50年、2015年には『長野』300号を発行。2017年には副会長・小林玲子が姉妹団体「長野の絵解きを広める会」を設立[4]。
2023年には創立65年を迎えた。
長野郷土史研究会が実践するのは、「郷土史によるまちづくり」である[5]。
初期から行われた史跡めぐりは、ありきたりの観光地ではない全国各地の史跡を見学し、地域の魅力を再発見。地域おこしにもつながった。
講演会・講習会は多くの会員や一般の人々に向けて行われ、古文書解読の講座では多くの指導者も育成した。古文書講座は二代目会長が引き継ぎ、現在はYouTubeも使って古文書の解読を広めている[6]。
その他、以下のような活動を行ってきた。
1964年に創刊された会の機関誌『長野』は、1966年には学術刊行物の認可を受けた[4]。長野県北信地域に事務所を置く地域研究誌としては、最も長い伝統がある[1]。『長野』の編集は小林計一郎から息子で二代目会長の小林一郎に引き継がれた。245号からはさらにその息子である小林竜太郎(小林計一郎の孫)が編集を行っている[2]。
同誌は2000以上の論文や手記を掲載してきた。内容は多岐に及んでいるが、とりわけ善光寺関係が多く、善光寺史の研究に『長野』は欠かすことができない。小林一茶についても同様である。また『長野』は随時、特集号を設け、飯綱・戸隠、飢饉・災害、山城・館などをテーマにユニークな特集を組んできた[3]。
また、一般の人々が参加する長野郷土史研究会の特色を活かし、手記を集めた「太平洋戦争特集号」や「歴史の証言」などは、貴重な歴史資料となっている。
同誌は国立国会図書館や主な図書館に収蔵され、閲覧することができる。また、創刊号から70号までのバックナンバーはCD-ROM化されている[7]。
長野郷土史研究会は当初発行所名だったが、その後も出版物発行所として、地域の文化に大きく貢献してきた[8]。
小林計一郎の初期の著書、『善光寺と長野の歴史』(1958)、『川中島の戦』(1959)、『俳人一茶』(1961)はいずれも長野郷土史研究会を発行所として刊行された。教職を退いた小林計一郎は1996年にエッセイ集『信濃の春秋』を刊行したが、これも同様である。
長野郷土史研究会の会員も、会を発行所として研究成果を発表した。それには以下のようなものがある。
このほか、長野郷土史研究会鬼無里支部・吉田支部等が、支部名で地域の書籍を刊行している。
また、「発行」ではなく、「長野郷土史研究会編」として刊行された史料集もある。
「企画 長野郷土史研究会」となっている。
長野郷土史研究会テキストブックシリーズ
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