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日本神話の人物 ウィキペディアから
蘇我 石川(そが の いしかわ[1]、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の人物。
『日本書紀』では「石川宿禰(いしかわのすくね)」、『古事記』では「蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね)」、他文献では「宗我石川」とも表記される。「宿禰」は尊称。
系譜に関して『日本書紀』に記載はない。『古事記』孝元天皇段では、建内宿禰(武内宿禰)の子7男2女のうちの第三子として記載されている。
『日本書紀』応神天皇3年是歳条によると、百済の辰斯王が天皇に礼を失したので、石川宿禰は紀角宿禰・羽田矢代宿禰・木菟宿禰とともに遣わされ、その無礼を責めた。これに対して百済は辰斯王を殺して謝罪した。そして紀角宿禰らは阿花王を立てて帰国したという。
『古事記』では事績に関する記載はない。
また『日本三代実録』元慶元年(877年)12月27日条では、石川朝臣木村の奏言のうちとして、宗我石川は河内国石川(現・大阪府富田林市の東半と南河内郡一帯)の別業に生まれ、これにより「石川」を名とし、さらに宗我(現・奈良県橿原市曽我町)の大家を賜り居としたので「宗我宿禰」が賜姓されたという[2]。
『紀氏家牒』によると、履中天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇の5人に仕えたという。[3]。また、大和国高市県蘇我里に邸宅があり、それが「蘇我」の由来であるとされる[4]。
『古事記』では蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣ら諸氏族の祖とする[1]。
『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。
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