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平安時代中期の貴族。藤原北家高藤流甘露寺家3代。正四位下・備中守。妻に家女房(子に藤原隆経) ウィキペディアから
藤原 隆光(ふじわら の たかみつ)は、平安時代中期の貴族。藤原北家高藤流、右衛門権佐・藤原宣孝の子。官位は正四位下・備中守。
一条朝の長保2年(1000年)主殿権助として見えるのが史料上の初見。長保3年(1001年)蔵人に補され、寛弘2年(1005年)には蔵人式部丞として、藤原実資の許に宣旨を持来している[2]。寛弘末期に従五位下に叙爵し、蔵人大夫となる。また、藤原道長に近習として身近に仕えた[3]。
後一条朝の治安3年(1023年)頃に皇后宮大進に任ぜられて皇后・藤原威子に仕え、治安4年(1024年)に正五位下に叙せられている。主殿頭を経て、長元3年(1030年)正四位下に至る。その後、左京大夫を務めたほか、時期は明らかでないが越前・筑前・備中・備前と四カ国の受領を歴任している。
注記のないものは『尊卑分脈』による。
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