石黒不二代
日本の経営者 ウィキペディアから
日本の経営者 ウィキペディアから
石黒 不二代(いしぐろ ふじよ、女性、1958年2月1日 - )は、日本の経営者。ネットイヤーグループ株式会社の共同創業者で元代表取締役社長兼CEO。経済産業省IT経営戦略会議委員、経済産業省産業構造審議会情報分科会委員。BSテレビ東京番組審議会委員。セガサミーホールディングス取締役。三井物産取締役。東海国立大学機構経営協議会委員。
いしぐろ ふじよ 石黒 不二代 | |
---|---|
生誕 |
1958年2月1日(66歳) 日本 愛知県 |
出身校 |
名古屋大学経済学部卒業 スタンフォード大学経営大学院修了 |
職業 | 実業家 |
愛知県一宮市出身。一宮市立北部中学校、愛知県立中村高等学校、名古屋大学経済学部卒業。スタンフォード大学経営大学院修了。
製函機製造会社経営の家に生まれる。1980年、名古屋大学経済学部卒業。8か月間ほどアルバイトに従事。1981年1月、ブラザー工業株式会社入社、米国向けOEMや欧州向けディストリビューション戦略など海外マーケティング業務に就く。1987年、キャリアアップの転職を決意し外資系企業の面接を受けるが、面接担当者に「当社はMBA所持者以外採用しない」と言われ衝撃を受ける。1988年1月、株式会社スワロフスキー・ジャパン入社後、新規事業担当マネージャーに就く。結婚して1児をもうけるも育児と仕事に疲れ、手助けのために上京した母親が一ヶ月後に膵臓がんで死去後、MBA取得を決意し毎朝5時から受験勉強する[1]。1992年、スタンフォード大学ビジネススクールに2歳の子を連れて留学。同大経営学修士(MBA)修得。
1994年9月、アメリカ・シリコンバレーのコンサルティング会社Alphametrics Inc.社長。1999年1月、Netyear Group, Inc.取締役。1999年7月、ネットイヤーグループ株式会社取締役、2000年5月より現職。2006年1月、トリビティー株式会社(現ネットイヤーゼロ株式会社)取締役。2006年10月、株式会社電通ネットイヤーアビーム取締役。2009年1月、株式会社トライバルメディアハウス取締役。2013年損害保険ジャパン監査役。2014年マネックスグループ取締役[2]、ホットリンク取締役。2015年損保ジャパン日本興亜取締役[3]。
2002年、2010年、名古屋大学工学部客員教授として「大学生のための職業論」を講義。
2021年、ネットイヤーグループ取締役、ウイングアーク1st取締役[5]、セガサミーホールディングス取締役[6]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.