石光寺
奈良県葛城市染野にある浄土宗の寺院 ウィキペディアから
奈良県葛城市染野にある浄土宗の寺院 ウィキペディアから
石光寺(せっこうじ)は、奈良県葛城市染野[2]にある浄土宗の寺院。出土遺物等から飛鳥時代後期(白鳳期)の創建とみられる古寺で、中将姫伝説ゆかりの寺院である。境内には中将姫が蓮糸曼荼羅を織成する際に蓮糸を染めたという井戸「染めの井」と、糸を干したという「糸掛桜」があり、「染寺」と通称されている。観光的にはボタンの寺として知られ、境内にはボタン、シャクヤク、アジサイ、サクラ、サルスベリなどが植えられている。関西花の寺二十五霊場20番札所。
役小角の開山と伝えられる。『元亨釈書』等に記載される縁起によれば、天智天皇(在位668 – 671年)の時代、霊光を放つ大石が見つかり、天皇の勅命を受けてこの石に弥勒如来を彫らせ、堂宇を建立したのが始まりとされる。1991年(平成3年)には弥勒堂改築に伴う発掘調査の結果、飛鳥時代後期(白鳳期)の石造如来坐像、瓦、塼仏が出土した[3]。この時の発掘調査で、平面五間x四間の堂跡が検出され、前述の石仏はこの堂に安置されていたものとみられる[4]。また、境内に飛鳥時代後期といわれる塔の心礎がある。
当寺は中将姫の蓮糸曼荼羅織成伝説ゆかりの地として知られ、境内には伝説にちなむ「染の井」と「糸掛桜」がある。中将姫は伝説上の人物で、大納言藤原豊成の娘とされる。説話によれば、美貌で知られた中将姫は17歳で出家した。ある日、中将姫は、蓮の茎を集め、糸を採り出し、石光寺の庭に掘った井戸に糸を浸したところ5色に染まった。中将姫はそのハス糸で一夜のうちに当麻曼荼羅を織りあげた。天平宝字7年(763年)のことという。その井戸は、染の井と呼ばれ、その際、糸を掛けた桜が糸掛け桜であるという。建久3年(1192年)成立の『建久御巡礼記』に紹介される説話では、曼荼羅は「ヨコハギノ大納言(横佩大納言)の娘」の願いによって作られたものとされている。この時点では中将姫の名はみえず、娘の名が中将姫、父が藤原豊成に固定するのは室町時代以降のことである[5]。
前述の塔心礎、「染の井」、「糸掛桜」のほか、与謝野晶子、与謝野鉄幹、釈迢空(折口信夫)の歌碑がある。
花の寺としても知られ、境内にはボタン、シャクヤク、アジサイ、サクラ、サルスベリ等の花木がある。
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