熊野速玉大社
和歌山県新宮市新宮1にある神社 ウィキペディアから
和歌山県新宮市新宮1にある神社 ウィキペディアから
熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮にある神社。熊野本宮大社・熊野那智大社と共に、熊野三山を構成する。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。かつては式内社(大)であり、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部[1]。2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定された[2]。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部[3]。
神代の頃に、神倉山の磐座であるゴトビキ岩に熊野速玉大神と熊野夫須美大神が降り立ち、そこで祀られることとなった。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる[4]。熊野夫須美大神は伊邪那美神とされている。
しかし、社伝によると景行天皇58年に現在地に遷座し、速玉之男神の名から社名をとったという。もともと祀られていた所である神倉山は神倉神社となり、また元宮と呼ばれ、当社は新宮と呼ばれる。
初めは二つの神殿に熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神を祀っていたが、平安時代の初めには現在のように十二の社殿が建てられ、神仏習合も進んで熊野十二所権現と呼ばれ、やがて式内社(大)に列せられた。
また、穂積忍麻呂が初めて禰宜に任じられてからは、熊野三党のひとつ・穂積氏(藤白鈴木氏)が代々神職を務めた。
平安時代の末期には鳥羽上皇、後白河法皇、後鳥羽上皇などが幾度も熊野三山に足を運び、大いに賑わっている。
1466年(文正元年)12月、畠山義就の猶子・畠山政国から、牟婁郡芳養荘(現・田辺市)を寄進された[5][6]。
1871年(明治4年)、熊野速玉神社として県社に列格するが、1883年(明治16年)、打ち上げ花火が原因で社殿が全焼してしまった。1915年(大正4年)、官幣大社に昇格する。
1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。1967年(昭和42年)に社殿が再建された。
2004年(平成16年)7月1日、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された。
社殿 | 祭神 | 本地仏 | ||
---|---|---|---|---|
上四社 | 第一殿 結宮 | 熊野夫須美大神(熊野結大神) | 千手観音 | |
第二殿 速玉宮 | 熊野速玉大神 | 薬師如来 | ||
第三殿 証誠殿 | 家津美御子大神・国常立尊 | 阿弥陀如来 | ||
第四殿 | 若宮 | 天照大神 | 十一面観音 | |
神倉宮 | 高倉下命 | (本地仏なし) | ||
中四社 | 第五殿 禅児宮 | 天忍穂耳尊 | 地蔵菩薩 | |
第六殿 聖宮 | 瓊々杵尊 | 龍樹菩薩 | ||
第七殿 児宮 | 彦火火出見尊 | 如意輪観音 | ||
第八殿 子守宮 | 鵜葺草葺不合命 | 聖観音 | ||
下四社 | 第九殿 | 一万宮 | 国狭槌尊 | 文殊菩薩 |
十万宮 | 豊斟渟尊 | 普賢菩薩 | ||
第十殿 勧請宮 | 泥土煮尊 | 釈迦如来 | ||
第十一殿 飛行宮 | 大戸道尊 | 不動明王 | ||
第十二殿 米持宮 | 面足尊 | 多聞天 |
当神社所蔵の総数1,000点を超える古神宝類は、1955年(昭和30年)6月22日、一括して国宝に指定された[23]。ここで言う「神宝」とは、祭神の所用具として製作・奉納された服飾・調度類のことで、上述の第一殿から第十二殿に祀られる祭神のために作られた神服、蒔絵手箱、銅鏡、弓矢、染織用具などが含まれる。
熊野新宮では平安時代以来、33年に一度の遷宮を例とし、遷宮のたびに新たな神宝が調進されていた。しかし、徳治2年(1307年)の社殿焼失後は、朝廷の援助が得られなかったこともあり、仮殿が建てられたのみで、復旧は遅々として進んでいなかった。ようやく明徳元年(1390年)に至って遷宮が行われ、現存する神宝の大部分は、この時に時の幕府(足利義満)が中心となって製作・奉納したものである(ただし、一部に時代の下る遺品も混在する)。熊野三所と称される結宮(中御前)、速玉宮(西御前)、証誠殿への神宝奉納は、それぞれ禁裏(天皇)、仙洞(上皇)、室町殿(将軍)によって行われた。速玉大社には『熊野山新宮神宝目録』(明徳元年の本奥書)、『熊野山新宮御神宝内外御装束之事御調進造替之文目録』(年紀なし)という2種類の神宝目録が伝存する(いずれの目録も、現存するものは江戸時代の写本)。これらの目録には、各祭神に奉献された神宝の名称、材質、文様等が詳細に記載されており、現存の神宝類とも符合するので、貴重な資料となっている。[25]
現存の古神宝類は、男神用、女神用それぞれの神服、各祭神に奉納された蒔絵の手箱(化粧道具を納める蓋付の箱)、太刀などの武器武具類、紡績具などに分類される。
これらの古神宝類は、制作年代と由緒が明らかであり、南北朝時代の染織、漆工、金工などの工芸品の基準作例として重要である。
古神宝類
速玉賞(はやたましょう)は、2006年、新宮商工会議所青年部設立20周年を記念して、熊野速玉大社の了解のもとで創設されたスポーツの賞。野球関係者らの参拝も多かったことから、速玉之男神の「速玉」の二文字を「速い玉」と捉えて、球技の向上を祈願する神様として、また、更に範囲を広げてスポーツ全般の心技体を磨いてもらえる神様として、「速玉」のブランド化を目指した意図による事業である[32][33]。
野球のみならず、スポーツ全般を対象としている賞であり、直近までにおいての1年間に記録または記憶に残るアスリートやチームを選定して贈られる[34]。なお、第1回は当時の日本プロ野球界の最高球速を記録したマーク・クルーンに贈られ、横浜スタジアムで贈呈セレモニーが行われた[33]。2016年1月の第10回の選出を最後に、以降は本賞の継続は確認できない。なお、第10回に選出されたプロ野球選手の上原浩治は決して球速の速い投手ではなく、「(速い玉という名前の賞は)自分にとって一番相応しくないと思いますけれども」と受賞時にコメントしている[35]。
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