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洞山良价(とうざん りょうかい)は、中国唐代の禅僧。諡は悟本大師。俗姓は兪[1]。越州諸曁県の出身[1]。五家七宗の一つ、曹洞宗の開祖[1]。
高弟に曹山本寂(840年-901年)がおり、宗派の名は洞山とこの曹山から一字ずつとって当初は「洞曹宗」を名乗ったというのが通説の一つだが、諸説異論ある[3](中国における曹洞宗参照)。[3]
幼少のころより仏門に入る[5]。村院の師について学んだが、『般若心経』を唱えたとき、六根の釈義について問いつめるなど頭角を現したので、五台山の高僧である五洩霊黙のもとへ遣わされ[1]、21歳のとき受戒した。
のち南泉普願にも薫陶を受け [1]、潙山霊祐にも師事 [1]。最後に雲巌曇晟(うんがん どんじょう、782年-841年)を師と仰いだが、『人天眼目』によればこのとき「三種滲漏」などの真髄[6]を相伝した。[1][5][6]
武宗による会昌の廃仏(843年-845年)が起きたが、大過なくやりすごした[注釈 1]。晩年に筠州洞山(江西省宜春市宜豊県)を開いて[8]禅門の一院を創設(当初は広福寺、功徳寺、崇先隆報寺などの名だったが、宋代初頭以降、普利院と称した[9][10][2])。ここで『宝鏡三昧(宝鏡三昧歌)』を作した[4]。門徒は500~1000人に達したという[4][2]。
洞山が提唱したかたちの五位は、「正偏(しょうへん)五位」と称される[11]。その思考を知る資料『洞山語録』がある[3]。南陽慧忠の説いた「無情説法(生命を持たない、人でないものが人と同じように説法をしているという教え)」を追い求める過程で、川に映った自分の姿を見て大悟を得たとされ、「洞山過水」として禅画の画題となっている[12]。
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