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小松島市の南部に位置する。東は立江町、南は向山山地を境として阿南市羽ノ浦町に、西は丘陵を境に勝浦郡勝浦町、北は田野山地を境として田野町に接する。
三方を丘陵に囲まれたくさび型の平地が東部に向かって展開している。隆起や沈降によりおぼれ谷状にできた入江が櫛目状に連なり、櫛目形の谷が山麓を東西に走る。徳島県道28号阿南小松島線に沿って農村集落が発達している。
中央部の平地は深い湿田となり、米作が卓越し、段丘面上や段丘崖では、タケノコ・ヤマモモの特産地を形成している。櫛渕城址は櫛渕五山の第2山にあって、城主は秋元盛貞である。櫛淵八幡神社にあるフウは県指定天然記念物となっている。
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櫛渕村は、江戸期から町村制の施行された1889年(明治22年)にかけて那西郡および那賀郡に存在した村。「櫛淵村」とも表記される[4]。幕末期には当村豪農層から国学者を輩出し、なかでも伊勢家6代・茂興は、茶人大系譜・非葛花(天保11年)の著作を残している。
この地には江戸後期から明治初年の間にあった寺子屋は4校で[5]、特に樋口杏斎の家塾は幕末・維新期の農村教育に先駆的な足跡を残した。
櫛渕は明治22年から昭和32年にかけて存在した大字名。「櫛淵」とも表記される[4]。はじめ立江村、明治40年に立江町、昭和26年4月に小松島町、同年6月からは小松島市の大字となる。
昭和32年より現在の櫛渕町となる。地内には缶詰工場が設立されているが、住民は農業以外の産業に就職したり、臨海工業地帯や徳島市内の事業所に通勤する者が次第に増加した。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 小松島市立櫛渕小学校 | 小松島市立小松島南中学校 |
徳島駅前行と小松島市役所行があり、萱原は北方からの便の終点である。
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