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1947-, 彫刻家 ウィキペディアから
植松 奎二(うえまつ けいじ、1947年-)は、日本の彫刻家・現代美術作家。兵庫県神戸市生まれ。
兵庫県立御影高等学校、神戸大学教育学部美術科卒業。1969年第1回現代国際彫刻展(神奈川・箱根彫刻の森美術館)に入選、同年に最初の個展(京都・ギャラリー16)を開き、作家活動を始める。1974年神戸市文化奨励賞を受賞。1975年9月渡独してデュッセルドルフに拠点を構える。1986年3月第二の拠点を兵庫県西宮市に設ける。1988年、戸谷成雄、舟越桂と共に第43回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表作家に選出された。1995年からはデュッセルドルフと大阪府箕面市に拠点を移して活動している。2013年第38回中原悌二郎賞を受賞(『截接―軸・経度・緯度』)。2021年兵庫県文化賞を受賞。
兵庫県神戸市・下山手通の下町で、画工の二男として生まれる。長男である兄は、すでに亡くなっていた。歳の離れた姉と2歳下の弟がいる。弟・永次は後に土を素材に制作を行なう美術家となった[1][2]。父親が自宅兼工房で印刷の原版用にイラスト描きやレタリングをしているのを間近で見て育つ。小さい頃から絵を描いたり模型を作るのが好きであった一方、『子供の科学』(誠文堂新光社)を愛読し、科学の不思議な面に興味を覚えた。自然史博物館や科学博物館に通い、地球や宇宙、世界の構造に関心をもち、それらを原初的な視点でとらえてみたいと考えるようになった。このことが後の作品制作に関係している。
父に芸術大学進学を反対されたため、神戸大学教育学部美術科に入学する。後に児童文学者となる岡田淳と同級であった。卒業後に市立小学校、県立工業高校で教員を務める。
教職の傍ら、作品『透視−鉄』を第1回現代国際彫刻展(神奈川・箱根彫刻の森美術館、1969年)に出品し入選、作家としてデビューする。同年、初の個展で『透視−H2O』(京都・ギャラリー16)を発表する[3]。1972年、京都ビエンナーレに出展する。
1974年「日本の伝統と現代」展(デュッセルドルフ市立近代美術館)に選ばれて出品する。同年10月第2回神戸市文化奨励賞を受ける。この頃、自主制作映画『暗くなるまで待てない!』(大森一樹監督)[4]に小さな役で出演する。1975年9月、芸術家の活動が盛んなデュッセルドルフを目的地として渡独(当時・西ドイツ)。1976年12月、ヨーロッパで初の個展「Keiji Uematsu, Skulptur Foto Video Film」を、ストックホルム国立近代美術館(スウェーデン)で開く。以後、ヨーロッパの美術館、ギャラリーにおいて作品発表を数多く行なう。
1980年12月、ニューヨークで初の個展「インスタレーション,軸−緯度−経度 Installation, Axis-Latitude-Longitude」をP.S.1[5][6]で開く。1985年「彫刻展」(パリ・カルティエ現代美術財団)[7][8]に招聘され、14年ぶりの野外彫刻となる『置−トライアングル』を制作する。以後、ヨーロッパ・日本・韓国で野外彫刻を数多く制作する。
1986年3月、兵庫県西宮市に新たな拠点を構える。以後、西独デュッセルドルフと日本を往復しながら制作活動を続ける。1995年の阪神淡路大震災後、西宮市から箕面市に拠点を移す。
1988年第43回ヴェネツィア・ビエンナーレにおいて、日本館に『倒置−垂直の場 Inversion-Vertical space』を展示する[9][10]。
1990年代に入っても旺盛な制作活動を続ける。1997年、日本の美術館では初となる個展「知覚を超えてあるもの」を西宮市大谷記念美術館で開く。
2003年に写真作品を主とした個展「身体と眼差しへの思考 '70sの写真・映像から新作まで」を北九州市立美術館で開く。2006年「時間の庭へ・植松奎二展」を西宮市大谷記念美術館で開く。21世紀に入っても、ほぼ年に2回のペースで個展を開催している。
2014年ロンドンのアートフェア「フリーズマスターズ Frieze Masters」のSpotlight部門に選ばれ、1970年代の写真および立体作品を出展。同様に、2016年ロンドンでグループ展「Performing for the Camera」[11]に出展。同年ロンドンで個展「Invisible Force」[12]を開く。
2021年、国内では15年ぶりとなる美術館での個展「みえないものへ、触れる方法−直観」[13]で新作を発表する。
2022年、個展「ナンセンスな旅への招待−みることの夢」[14]を開催する。
作品の表現手法は、映像(写真・フィルム・ヴィデオ)・パフォーマンス(およびその映像記録)・版画・彫刻・インスタレーションと多彩である。作品制作を「仕事(=プロジェクト)」と呼び、プロジェクトのアイディアを描き記したドローイングも独立した作品として提示される。彫刻・インスタレーションの素材として、布・石・ガラス・鉄・ステンレス・銅・ブロンズ・真鍮・材木(主にベイマツ)・自然木を使うことが多い。そのスタイルは、あたかも抽象(abstract)と見えるが、作品に表現されているのは、重力などの、人間の目には見えない力(invisible force)が具体化されたものである。
1972年京都ビエンナーレのパンフレットに(〈あなたにとって美術とは何か〉という、出展作家に対するアンケートに答えて)「みえる構造(structure)、存在(existence)、関係(relations)をあらわにみえるようにすること。みえない構造、存在、関係をあらわにみえるようにすること。みえる構造、存在、関係をみえなくすること。」と書いていることが、作家活動最初期からの基本コンセプトを表わしている[15][16]。
同時代の彫刻家である関根伸夫の作品に影響を受けたと思われるが、植松自身は「もの派」には属していない。また、主に欧州において、植松作品に禅の要素を見出す解釈は、全ての日本人が禅の影響を受けているという先入観に基づくものである。
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