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豊後府内藩主 ウィキペディアから
松平 近儔(まつだいら ちかとも)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。豊後国府内藩の第6代藩主。官位は従五位下・長門守。親清流大給松平家10代。
宝暦4年(1754年)3月27日、第5代藩主・松平近形の長男として誕生した。明和7年(1770年)7月21日、父が病気を理由に隠居したため家督を継いだ。天明6年(1786年)から天明7年(1787年)、享和元年(1801年)の虫害による大凶作を始め、災害や大火が相次いで藩財政は逼迫した。その一方で文武を奨励し、府内藩の文武の発展に尽力している。
実子の近訓が幼少のため、文化元年(1804年)12月6日に弟の近義を養子として家督を譲り隠居した。しかしその後も藩政の実権を握り、文化4年(1807年)に近義が死去すると近訓を藩主として擁立し、やがて近訓とも藩政改革をめぐって対立したため、天保2年(1831年)に隠居させてその養子である近信を擁立し、自らは天保11年(1840年)2月16日に死去するまで藩政の実権を握り続けた。享年87。
父母
正室
子女
養子
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