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日本の東京府南足立郡にあった村 ウィキペディアから
東渕江村(ひがしふちえむら)とは、1889年(明治22年)5月1日から1932年(昭和7年)10月1日まで存在した東京府南足立郡の村。
東京府南足立郡の南東部に位置していた。村域は東を中川、南を古隅田川(現・隅田川)に囲まれ、本格的な開拓の始まる江戸時代までは両河川の自然堤防の後背湿地であった。村役場は東渕江村の地理的中央に当たる東和五丁目6付近に設けられた。現在は石碑が建つ。向かいには足立消防署大谷田出張所が建つ。
東渕江村役場庁舎の建物の一部は払い下げと移築が行われ中川三丁目3で隅田自治会集会場として2023年8月現在も利用中である[1]。
地域としては「東淵江」を参照
旧来の「渕江領」に属していたが、綾瀬川が開削されてから後に「新川東」の呼称が付けられ、そこから東渕江の名称となった。
「ふち」の表記法は公文書や公機関発行の地図、歴史文献などによって「渕」および「淵」の二種類が混在している。「ひがしふちえ」の名を冠した施設(足立区立東渕江小学校・東渕江橋・東渕江庭園)などは「渕」の表記を用いているが、しかしそれらも文献資料によっては「淵」と記されている。この表記法についてはどちらが正しいかは厳密に定義されておらず、「にっぽん」か「にほん」かと同じく、慣用的にどちらも認められているものである。ただし、上記の施設の名称を示す場合は、「渕」の表記を用いるのが妥当である。
これは渕江村も同様である。
詳細は東淵江を参照。
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