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『東京市史稿』(とうきょうししこう)は東京市及び東京都によって刊行された編年体の史料集。明治44年(1911年)から令和3年(2021年)までに全11篇184巻を刊行し、終刊となった[1]。
本来は明治維新から東京市成立(1901年)までの歴史を編纂することが目的であったが、維新前の歴史も参考として収められることとなり、実際には江戸時代の内容が記述の大半を占めることになった。
東京市の事業として明治44年(1911年)に刊行が始まり、昭和18年(1943年)の東京都制施行後は東京都に事業が引き継がれた。1968年以降は東京都公文書館が編纂を継続した。
明治34年(1901年)10月、東京市参事会員中鉢美明の建議による「東京市政ニ関スル沿革史ヲ調査編纂スルノ議」が市参事会で可決され、東京市沿革史編纂委員が設置された。内容は「明治元年ヨリ三十四年度ニ至ル本市ニ関スル制度ノ沿革ヲ調査編纂スル」ことであった。翌年、東京市会で3ヶ年事業とされ、毎年予算が配分されたが、明治37年(1904年)には日露戦争により予算が縮小し、延期を余儀なくされた。
明治39年(1906年)、史論家・塚越芳太郎(塚越停春)が招かれ、編集の中心となった。明治40年(1907年)には資料調査が概ね整い、4月に起稿、具体的な編集方針が定められた[2]。篇立はとりあえず次の通りとし、全篇の完成を待たずに脱稿した篇から「東京市史稿」と題して出版することとなった。
もともとの構想は明治の市政史を記述するものであったが、刊行計画では東京の歴史全体に対象が拡大している。また、「前記」として江戸時代以前の歴史も記述の対象となった。
この内実際に刊行されたものは一部であるが、基本的な枠組みは変わっていない。もっとも時代が下ると目次の数字も乱れている。
『東京市史稿』市街編が中断した後に、事業を継承して刊行されている。時代に沿ったテーマを設定し、テーマ別の史料集としている。
昭和初年に第一輯と第二輯が計画されたが、第一輯の一部のみが実際に刊行された[3]。
第2次世界大戦後に刊行された「江戸東京の歴史に関する調査研究報告」で、かつての「東京市史外篇」の姉妹編ともいえるもの[4]。「銀座煉瓦街の建設」「元禄の町」など42冊を刊行している(2014年刊の「江戸の広小路」まで)。[5]
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