本山寺 (三豊市)
香川県三豊市にある寺院、四国八十八箇所霊場の第七十番札所 ウィキペディアから
香川県三豊市にある寺院、四国八十八箇所霊場の第七十番札所 ウィキペディアから
本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗の寺院。七宝山(しっぽうざん)、持宝院(じほういん)と号す。本尊は馬頭観音菩薩(秘仏)。四国八十八箇所第七十番札所、四国三十六不動霊場第29番札所[注釈 1]。鎌倉時代再建の本堂は国宝。
本山寺 | |
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五重塔と本堂 | |
所在地 | 香川県三豊市豊中町本山甲1445番地 |
位置 | 北緯34度8分22.8秒 東経133度41分38.6秒 |
山号 | 七宝山 |
院号 | 持宝院 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 馬頭観音菩薩 |
創建年 | (伝)大同2年(807年) |
開基 | (伝)空海(弘法大師) |
正式名 | 七宝山 持宝院 本山寺 |
札所等 | |
文化財 | |
公式サイト | 本山寺 公式ホームページ |
法人番号 | 4470005004152 |
寺伝によれば、大同2年(807年)、平城天皇の勅願寺として、空海(弘法大師)が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として開創し長福寺と称したという。この時、本堂はわずか一夜でできたという「一夜建立」の伝説がある。
中世には寺領2,000石、24坊を持つ大寺となって栄えた。
永安から天正年間(1573年 – 1593年)の戦乱により讃岐国の主要寺院の大半は兵火を受けたが、当寺は香川氏の勢力下にあり、早くに長宗我部と婚姻同盟しており「不戦協定」が結ばれていて、また、埋蔵文化財センターによる発掘でも焼かれた跡は見つかっていない。しかし、伝承ではこの境内に攻め入る兵士を斬られながらも止めようとする住職を振りきり攻め入ったが、本堂内陣の厨子を開いたところ阿弥陀如来の体から血がしたたり落ちるのを見て驚き、本堂(国宝)と仁王門(重要文化財)は焼かずに撤退したという。その阿弥陀如来は「太刀受けの弥陀」と呼ばれるとある。 澄禅『四国遍路日記』(1653年)や真念『四国辺路道指南』(1687年)には、本堂と仁王門と鐘楼しか記されていないが『四国遍礼名所図会』(1800年)には、大師堂(1795年建立)・十王堂(1759年建立)・大日堂・鎮守堂・庚申堂(1730年建立)が描かれ、1700年台に五重塔以外は現在とほぼ同じ伽藍が造られた。
江戸時代には領主の生駒氏と京極氏により再興され、天保年間(1830 – 1844年)には地名から本山寺と改称された。
文化2年(1805年)3月3日より4月3日まで本尊および全ての堂宇と仏像が開帳され村をあげてのイベントが行われた。
嘉永7年(1854年)には方丈・庫裏が全焼するが、慶応3年(1867年)に再建された。
明治29年(1896年)8月五重塔着工、同31年11月一層、同33年9月二層、同36年2月三層、同43年3月四層五層完了、同年12月10日には五万人の観衆を集めて落慶法要が行われた。
五重塔の修理が2019年4月9日竣工し、本尊の五智如来のうち失われていた中尊胎蔵大日如来が新造され令和5年11月5日落慶法要。
二王門をくぐると正面奥に本堂があり、その手前右に大師堂がある。納経所は本堂の左側を通過し奥に進み本坊の門をくぐり中に入って左にある。
一般道:国道11号 本山橋北詰 (0.3 km)
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