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明治時代前期の華族 ウィキペディアから
木戸 正二郎(きど しょうじろう、文久元年8月12日(1861年9月16日) - 明治17年(1884年)10月28日)は、明治時代前期の華族。来原良蔵の次男。母は木戸孝允の妹・治子。木戸孝允の養嗣子。
慶応2年(1866年)5月18日、伯父である木戸寬治(孝允・桂小五郎)の養子となり、桂正二郎と称す。桂家では2年前の禁門の変で養子の勝三郎を失っていた。
明治4年(1871年)2月23日、大蔵省出仕、造幣寮事務修業のため、豊原百太郎、岡村篤馬、児玉勝之助・山口武とイギリス留学を命じられ、6月5日横浜港出帆。明治6年(1873年)、留学先のロンドンから自身の写真を送り、裏面に「木戸母上様」「父上様」と書かれている。
明治8年(1875年)5月1日、イギリスから帰国。同年11月17日、実母の治子が大阪で死去。明治9年(1876年)9月、帰国後に入学した第一大学区東京英語学校下等科を卒業。
明治10年(1877年)5月26日、養父・孝允が京都にて病没し、8月7日、16歳の正二郎が家督相続する。明治11年(1878年)5月21日、華族に列す。6月、毛利元徳に正二郎の後見が依頼される。
明治13年(1880年)3月17日、ドイツ留学を許可される。ベルリンの兵学校で学ぶ。明治17年(1884年)7月7日、侯爵を授けられる。同年10月28日、帰国途中、セイロン島付近の船中で肝臓病のため死去。24歳没。墓所は多磨霊園。
同年11月18日、実兄の来原彦太郎が木戸家の相続人となり、20日に孝正と改名。
木戸家には、幼少期からの成長過程を、養父母の孝允・松子とともに写る正二郎の写真が多数残されている。
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