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1629年(寛永6年)、定誉広閑によって開山された。深川霊巌寺の塔頭として創建され、「元八庵」という名称であった[1]。
明治になり独立寺院となったが、檀家は10家程度で運営が厳しく、隣の安民寺(神田寺の前身)が兼任している状態であった。中興となる妙運尼は、当院を譲り受け、現在地に移転した。これが現在の広閑院である[1]。
妙運尼(みょううんに)は、明治時代の浄土宗の尼僧。俗名を「今泉歌子」といい、安政元年(1854年)に日本橋横山町の坂庄兵衛の三女として生れた。のち京橋区の船具商の今泉總兵衛に嫁いだ。1881年(明治14年)11月、總兵衛病歿の後、姑の面倒をみながら家政を挽回したことで賢婦人の誉れ高かった。歌子は次第に仏門を志すようになり、小松宮家に仕えていた植草智運(名は道子、安政3年(1856年)- 1921年(大正10年)5月25日。戒名は安蓮社樂譽上人道阿歌成智運法尼。)と共に1894年(明治27年)1月、麻布笄町の繁成寺(実業家の安川繁成開基)で出家し、小石川区表町にあった浄土宗學尼衆教場に4年間通学した。1897年に卒業後、小石川伝通院に於て共に三昧相承を了し、それより満千日の間全国の霊場を巡拝し、満願の後現在の地に一宇を建立した。1902年6月15日に入仏式を執り行った。妙運は1934年(昭和9年)10月5日寂。戒名は今蓮社泉譽上人生阿露潤妙運法尼。青山霊園に葬られた[1]。
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