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日本の歴史学者(1873-1954) ウィキペディアから
幸田 成友(こうだ しげとも、1873年〈明治6年〉3月9日 - 1954年〈昭和29年〉5月15日)は、日本の歴史学者、書誌研究者。
東京市神田山本町(現・外神田)で幸田成延の子として生まれる。幸田成行(露伴)・郡司成忠は兄、幸田延は姉、安藤幸は妹である。東京師範学校附属小学校、東京府中学校、共立学校、順天求合社、第一高等中学校文科を経て、1896年に帝国大学文科大学史学科を卒業[1]し、同大学院に入学。ルートヴィヒ・リース講師に師事。1901年から1909年まで日本で最初に編纂に着手された市史である『大阪市史』の編纂に主任として従事し、ほとんどの部分を一人で書き上げた。
京都帝国大学文科大学講師、慶應義塾大学塾員、宮内庁臨時帝室編修官ののち、1922年東京商科大学(現一橋大学)助教授兼予科教授[2]。1924年以降、同大学で日本経済史を担当[3]。1928年から[4]1930年まで[5]文部省海外研修生としてオランダデン・ハーグに留学。1930年6月、東京商科大学教授に昇格[6]。1934年退官[7]し、1939年まで東京商科大学講師。1940年慶應義塾大学教授。1944年同名誉教授。指導学生に増田四郎、吉田小五郎、林基、津田礼次郎、高橋碩一、柿原謙一等がいる[8]。
1928年に『日本経済史研究』を公刊、1930年「武家ノ金融ニ関スル研究」で慶應義塾大学文学博士[9]。江戸時代の経済史、とくに大坂・江戸を中心とする商業史、都市史、都市文化史などに業績をあげ、日欧交通史にも開拓的研究がある。
『幸田成友著作集』中央公論社 全7巻
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