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明治期の司法官僚、実業家 ウィキペディアから
小島 範一郎(こじま はんいちろう、1852年(嘉永5年) - 1910年(明治43年))は、明治期の司法官僚、実業家。正七位。
広島藩士小島岩之進の長男。身体が虚弱であったため武術を修めたのち、広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)にて学び[1]、のちに学問所句読師も務めた。当時15歳で元服するところを13歳で元服している。医学門所を経て1873年(明治6年)慶應義塾に学ぶ。1873年(明治6年)広島県庁に入る。1877年(明治10年)司法省出仕を命ぜられ広島裁判所山口支庁で民事を担当。1880年(明治13年)興芸西社を興す。1886年(明治19年)広島県御調世羅郡長に就任。1891年(明治24年)兵庫県川辺郡長に就任し3年間務め病気のため辞職。1900年(明治33年)芸備立憲政友会幹事。その後実業界に転じ、大日本軌道取締役など数社の重役、広島市名誉参事会員、旧制修道中学校理事などを歴任した。
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